2007-04-28

命のお値段 Price of life

「命」に関するニュースが立て続けに流れた。

『「自殺率」20%減、政府が目標案』と『「ネットカフェ難民」初の実態調査』

「自殺率」に関しては保険業界は「自殺率」で成り立っているという話もあり、人が死ぬ事で経済が成り立つ見本みたいな物という話も聴きもする。

ただ、「国家」としては「自殺率」は不名誉な事で「自殺率」が高いと「国家」価値が下がるという投資理論もあり、アメリカなどが宗教の集団自殺を嫌がるのはそのためらしい。

「命」のニュースでもうひとつ。『法務省、3人の死刑執行を発表』。

長勢法務大臣のもとで行われたこの「死刑の執行」という国家儀式も死刑囚の自殺は許されないらしく、「国家」が人を裁き、殺さなければ意味はないらしい。

大島渚の『絞死刑』はそんな死刑囚が死に損なった死刑執行のやり直しのお話。

YouTube - Death by hanging - 1968

自爆テロの如く、「俺は、君のためにこそ死ににいく」といって、死にに行く特攻隊の美学を持つこの国の死生観はやっぱりどっかおかしく、「自殺」に関する施策提言は今更のようにも思われる。

『ラスト・サムライ』が日本の「死に様」を批判したように、世界の「死」の価値観はひとつなのに対して、日本は「いい死に方」と「悪い死に方」があるようだ。

だから、リストラされ自殺した人の子供が「リストラ孤児」「自殺孤児」として、就職でも疎外され、ニート、フリーターになるケースもあるという。

日本の因習を切り込まない限り、「自殺率」は変わらないと思うし、「ネットカフェ難民」を生み出した社会環境こそが「自殺率」の証のように思えてくる。

  • OhmyNews : 命のお値段

2007-04-26

温暖化の危機意識が低い日本 Japan where consciousness of crisis of Global warming is low

このところ、温暖化に関わるニュースが増え始めているけれども、その危機意識に関して、疑問を持たざるおえない語り口が気になりもする。

そのひとつとして、農林水産省が地球温暖化で農作物の収穫が減少する問題に関して、気温の上昇に耐えられるような新しい稲の品種の開発や、栽培方法の改善などを盛り込んだ対策を7月にまとめる方針を発表するというものがある。

この問題、北極海から南下する寒気が弱まる事で、夏の水不足を補う冬の降雪の減少からはじき出されたものと思われ、一番の問題である水不足の視点がまず抜け落ちており、単純に水不足になるかと云うと、亜熱帯地域が日本まで上昇してくるだろうから、日本の四季は雨季と乾季に変わるかも知れないし、台風の少数巨大化も強まるという見方もある。

また、食物はその気候環境でサボテンのように生態系を変え、生き延びられるけれども、人間は動物であり、常温20度台でなければ生きられないという当たり前の自然学がすっぽり抜け落ち、経済理論のみで語っていこうとしている。

別な話題として、東京湾岸の超高層化が進む中でのヒートアイランド対策という話題として、新丸ビルの環境に配慮した設計が紹介もされていたが、それは頭の中で考えた理屈であり、東京湾の涼しい風が皇居までスムースに通り抜けるかどうかははなはだ疑問だとも感じられる。

かつて、ロシアとサハリンの間にある間宮海峡を埋め立てると札幌に雪が降らなくなるという話題がのぼった事があるが、そうする事で海流の変化などが起き、何が起こるか見当がつかないという事を聴かされもした記憶がある身には、理論ずくめの都市開発は恐ろしいを通り越し、気色悪い気がする。

東京湾岸の超高層化も新丸ビルの風の抵抗を弱める働きがヒートアイランドを鎮めるのか、煽るのか、火災、台風などの災害時にビル風はどうなのかなどあまりにも計算不能の要件が多すぎるように思えてならない。

頻発する原子力発電所の問題があるのに、エコエネルギー研究よりも原子力エネルギー重視一辺倒の政策もあるだろうし、近海の地震で津波警報が発生しても、避難する人が少ないというニュースも記憶にあり、現代の日本人の自然に対する謙虚さのなさが逆に恐ろしくも感じられる。

ヨーロッパは毎年、熱波でひとり暮らしの老人世帯の孤独死が問題となり、温暖化無知のアメリカもカトリーナなどのハリケーン災害や『不都合な真実』のヒットを受け、生存の問題として、温暖化対策に取り組もうとしている。

また、途上国といわれる国々は自然の驚異を肌身に感じているために、自国文化保護が活発化しもしている。

高畑勲監督柳川堀割物語』に描かれた堀割を利用した自然との共存の知恵は日本人が如何に自然をよく知り、活用していたかを描いた物だったし、北海道・襟裳岬における山の枯葉が川に落ち、海に流れる事でプランクトンが繁殖し、豊かな漁場を作り出す自然の理論の発見も日本が世界に発信した功績なのに、その誇りを忘れたところに今の日本の危うさを感じてしまう。

風光明媚な場所で北海道サミットはこの温暖化対策がメインの議題ともされている。温暖化が人類の生存問題であるという視点を忘れずに、北海道サミットに向け、日々の政策でも温暖化対策を取り組んで貰いたいものである。

  • OhmyNews : 温暖化の危機意識が低い日本

2007-04-25

疲れた高校生たち Tired high school students

高校生意欲調査:「出世意欲」、日本は断トツ最下位

財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長)の「高校生の意欲に関する調査-日米中韓の比較」で、「偉くなりたいか」にスポットを当てて書かれたこの記事を読んだ。

一から十までお仕着せの社会。「出世意欲」低いのは当たり前だろうと思う。そして、就職先というゴール定めた「出世意欲」で語るのも愚かとも思う。

市場調査は聴く方の意識が統計に現れるのであって、「出世意欲」をバロメーターに据えた質問こそ日本らしい。と書いたところで、その元データを見たくなり、財団法人「日本青少年研究所」のサイトを訪れ、話題の「高校生の意欲に関する調査」を開いてみる。

(2) 若いうちにぜひやっておきたいこと

日本:「一生つきあえる友人を得たい」
「趣味や楽しいことを思う存分やっておきたい」
「いろんなことを経験したい」

(3) 生活意識

日本:「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」

(4) 人生目標

日本:「たくさんの友達をもつ」

(5) 偉くなることについて

日本:「責任が重くなる」「自分の時間がなくなる」

(6) 偉くなりたいか

「偉くなりたいと思う」(「強くそう思う」)
日本8.0%、米国22.3%、中国34.4%、韓国22.9%

(8)心情

「よくいらいらしている」
日本28.0%、米国18.4%、中国17.8%、韓国13.2%
「よく疲れていると思う」
日本50.0%、米国38.2%、中国31.8%、韓国37.0%

堅実な生活を望む高校生たちの心情の「よく疲れていると思う」がつらく感じる。

「偉くなりたいか」などより遥かに問題なのはこっちだろう!

嘘か誠か、一緒に仕事する大学生の口癖は「早く死にてぇ!」という若者気風。うちら40代後半も「しらけ世代」と団塊の世代からバッシング受けたけど、ある意味、今の若者は凄い!

「生き甲斐はゲームです」っていうのもいるかも知れない。

夢の中で見る閉じられたドアの向こうを見たくて、寝ているのが生き甲斐の青年の物語、ホセ・ドノーソ[Jose Donoso]「閉じられたドア」のような世界が、今の若者の世界なのかも知れない。

「出世意欲」に浮かれた大人たちの目が腐っていて、子供地獄を作り出している資料なのでしょうね。

  • ohmynews : 疲れた高校生たち

2007-04-24

アリランの謎 Arirang

高橋竹山の「アリラン」を聴きたくて、「アリラン」の録音史を辿る企画盤『アリランの謎 』を購入し、聴いています。

アリラン、アリラン、アリランヨ
アリラン峠を越えていく
私を捨てていく愛しい人(ニム)は
十里も行かず、足が痛む

1896年に五線譜に採譜された民謡「アリラン」は有史以来、朝鮮、韓国の心の歌であり、採譜したハルバートの「朝鮮留記」でも「朝鮮人にとってアリランは米だ」という記載が残るように、歌を越えた存在だそうだ。

歌の中で歌われるアリラン峠は人が越えるべき、争いであり、試練であり、葛藤であり、未来でもある。

企画盤『アリランの謎 』は「アリラン」の歴史からいつ日本に伝わったのか、近代「アリラン」の始まりとなる無声映画『アリラン』の話から、日本統治下、戦乱の中、散在した映画フィルムは爆薬の材料に使われたと云われているが、戦後、その牛しなわれたフィルムを所有している豪語していた日本人と死後、莫大なフィルム巻の調査が続く文化庁、国立国会図書館フィルムセンターの作業でも見つからない「朝鮮の記録」など様々な謎が50数ページに及ぶブックレートにて多角的に語られている。

更には戦後、子守り奉公の娘たちの哀歌として親しまれた「五木の子守唄」のルーツ探しとしての「アリラン」との関わりも触れられている。

農耕や漁業の二拍子のリズムからなる日本の民謡にはない騎馬の三拍子のリズム「五木の子守唄」は子守り歌だからだけではない大陸文化の影響が色濃く残っている。

また、よく知られる歌詞で歌われる
「おどまかんじん かんじん かんじん袋さげて あんしゅ よか人 かたなさけ」
このかんじんは人々に仏道をすすめて、善にむかわせる「勧進」という解釈の他に、「韓人」ではないかという節もあるそうで、恨みを通り越し、諦めを歌う「五木の子守唄」の謎にまで繋がる見方もある。

おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか
うらの松山蝉が鳴く
(遠く離れた所に子守奉公にきて私が死んでも だれも悲しまない
ただ蝉が鳴くだけでさびしい。)

五木の子守唄の代表的な子守唄の歌詞の意味もウェブページに挙げられている。

幼い頃、朝鮮人労働者に助けられた高橋竹山のかき鳴らす「アリラン」は津軽三味線の荒々しさに「アリラン」のメロディを織り込んだ物で、流浪を余儀なくされた日本の流民たちが「アリラン」を恋い慕い、歌った歴史が浮かび上がってくる。

戦前の日本の映画フィルムもその大半が戦火に焼かれ、今は観る事も叶わない。

あの世界の黒澤明のデビュー作『姿三四郎』も原盤は既になく、今観られる最長版は旧ソビエトから譲り受けたもの。

日本の庶民の近代史もまた「アリラン」だったように思えてくる。

韓国ではそれぞれの地域の「アリラン」が存在する。

キム・ギドク監督の映画『春夏秋冬そして春』の最後の山場で無形文化財キム・ヨンイムが歌う「ジョンソン・アリラン」もまた生き抜くための「アリラン」のひとつである。

2007-04-20

シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg

昔、主流を極めたフランス映画。
今、レンタルDVD化はほとんどされておらず、地道に発売続ける紀伊国屋もレンタル不可のセル・オンリー。パブリック・ドメイン、天井桟敷の情報格差是正は未だ日本では浸透していないようだ。

日本の知識人が愛したフランス映画を観るのは一苦労の情報断絶の時代。

束の間、DVDで発売されていたものも今はプレミア付きの高値でオークションで取引されもしている。

幸い、レーザーディスクや高値つく前に買いあさったDVDなどで好きな映画は手元にあり、今日は仕事しながら、全編歌曲形式の『シェルブールの雨傘』を垂れ流し、映していた。

ちょうど僕が産まれた時代、フランスはアルジェリアの独立戦争で、独立させまいと兵隊を送り込んでいた。

北フランスの田舎町シェルブールに住む恋人。

仲むつまじい恋人の元にも召集令状が届き、二人は引き裂かれる。

数年後、それぞれ家庭を持った二人は偶然の再会に一喜一憂する。

社会の荒波に呑み込まれ、運命に翻弄される庶民の悲哀を描いたこの映画は静かなる社会への抗議。

ヌーベルバーグともてはやされた人々と同じ頃、この『シェルブールの雨傘』の他、記憶を失い戦争から帰ってきた夫に必死で記憶を甦らせようとする妻の話、『かくも長き不在』やインドシナ戦争の後遺症を持つ男と寄宿学校に入れられた12歳の少女の逢い引き、『シベールの日曜日』などの名作も作られた。

『かくも長き不在』の手術で消され、けして戻らない夫の記憶のように、『シベールの日曜日』の変質者として射殺される男のように、「戦争」の記憶は忘れ去られていくのだろうか。

垂れ流しの『シェルブールの雨傘』のラストはやはり泣けてくる。

忘れ去られる庶民の記憶を多くの方と共有できる日を願って。

YouTube : Les Parapluies de Cherbourg
  • OhmyNews : レンタルDVD化されない往年のフランス反戦映画

2007-04-19

東京原発 Tokyo Nuclear plant

東京原発

「<高速増殖炉>もんじゅ後継は三菱重工業が研究開発」というニュースが日本原子力研究開発機構から出されたそうである。

日本の業界の原子力依存の発想は未だ続いているんですね。こんなものに今後目減りするジャパニーズ・マネーを使わずに、エコ・エネルギー開発に使えば、郷土愛あふれる「美しい国」と誉めてあげるのに。(笑)

「東京都に原発を誘致する!」

ワンマン都知事の一言から始まる『東京原発』

将来的な問題を考えない刹那的な国家運営を東京に原発誘致という提案ですべてさらけ出すという理論が素晴らしいこの映画。後半の核ジャックは腰砕けなんだけど、面白かった。

著名人?のスイセンの言葉をトップページに据えるオフィシャルサイトはなんだかなぁと思うけれど。

  • 東京原発

2007-04-18

鉄砲玉の美学 Teppôdama no bigaku

長崎市市長銃撃事件を巡るネットの書き込みから日本の裏社会における「鉄砲玉の美学」が知られていないようなので、その流れをまとめてみた。

戦後日本の格差のシンボル「鉄砲玉の美学」

飢えた人材は概ね利用される側に陥るというのが現代社会の仕組み

やかましく軍歌、君が代、鳴らし、威圧する商業右翼と共に落ちこぼれをかき集め、生きる術を与えた組織暴力。

アメリカのマフィアと似た成り立ちから、ジャパニーズ・マフィアとも云われた山口組が有名で、日本中の港の積荷業を一手に抑え、闇金資金を作り上げ、「仁義なき戦い」と称されもした。

長崎市市長銃撃事件の書き込みで「日本でこんな事が起こるなんて!!」という甘ちゃんは戦後日本を知らなすぎる。

安保闘争時の浅沼社会党委員長刺殺事件は再軍備・鳩山一郎の後ろ盾、三木武吉と浅沼の裏取引が原因とされているけれど、政界、財界と右翼、やくざは底なしの関係だった。

レッドパージの右翼、やくざ総動員は有名だし、『県警対組織暴力』という実録物も映画として作られ、低予算で『鉄砲玉の美学』も作られた。

戦後格差は落ちこぼれの再利用、玉砕の美学で高度成長を迎えた。

2007-04-16

Blog Reader

メーラーでRSSファイルの更新を自動で読み込むBlog Readerを導入しているとお友達のブログ日記がメールで届き、その人の近況が判り、非常に便利。

薄野でカプセルホテルを旦那とともに細腕で経営している高校時代の同級生は子供も大きくなり、今まで無理していたのだろうか、体の不調を気にしつつも、近況を毎日書き綴っている。

毎週金曜日、翌日の仕事に控え、骨休みに利用させて貰っているのだけれど、彼女、高校時代の同級生と数十年ぶりに東京で逢う、お互い、判るかなと喋っていたけど、昨晩はその事が書かれており、今日、数十年ぶりの同窓会が東京で行われるよう。

一生懸命生き、一生懸命今を楽しもうとする彼女の姿が目に浮かび、また骨休みに行った時、話をしたくもなる。

便利さの上手な活用。それは生きる事を如何に楽しみ、如何に人と繋がるかなのじゃないのかな。

今年入った職場の新人学生たちは見事なくらい朝礼時、整列しない。仕事ぶりは云われた事をちゃんとこなすのに。

仕事と遊びを切り離し考える事が「要領の良さ」になってしまっていて、遊びを仕事に繋げる、仕事を遊びに繋げる視点が見失われているような気がする。

テクノロジーを如何に使うか、それはマニュアルじゃなく、カスタマイズにある気がする。

  • カプセル・イン札幌

ここ一週間の世界の地震 Latest Earthquakes in the World - Past 7 days

Latest Earthquakes in the World - Past 7 days

ここ一週間の世界の地震
三重地震の大きさが判るかと思います。

被災二次災害、なき事を願います。

2007-04-13

腐った権力 Podres Poderes

「国民投票法案が今国会成立へ、衆院特別委で与党案可決」というニュースを読み、今の日本は1960年代のブラジルに似ているなぁと思い、ブラジルのカエターノ・ヴェローゾの映像をYouTubeで拾い集めてみた。

軍事クーデターを国民が支持し、貧富格差を生み出し、貧しい裏山はゲットーの貧民街となり、ストリートチルドレンが現れた時代。

アイドルとしてデビューしたカエターノ・ヴェローゾは世界中で盛り上がる学生運動に刺激受けたマスコミに煽られ、挑発的なパフォーマンスを繰り広げる。

YouTube : Caetano Veloso - Alegria, Alegria

エレキギターがブラジルらしからぬものとしてバッシングされ、刃向かうカエターノは「禁じる事を禁止する」を歌い、激しい野次を浴びせかけられる。

YouTube : Ambiente de Festival/E Proibido Proibir (Caetano Veloso)

仲間の意見も割れ、誰が味方かも判らない時、カエターノはバラエティ・ショウの演出を事大げさに密告され、国旗侮辱罪で逮捕される。

刑務所でカエターノは看守の前で銃を背に突き付けられ、歌う事を命じられ、長髪を切られる。

保釈後、自分で髪を切ったというような誓約書にサインをさせられ、口封じされるも、再逮捕の噂を知り、国外亡命を決意し、気候が全く逆のロンドンに渡る。

逮捕当時の尋問の恐怖により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされたというカエターノは無事帰国の数年後の映像でも視線は脅えたように落ち着かないでいる。

YouTube : Qualquer Coisa by Caetano Veloso

右傾化、すなわち、軍備増強のイメージしか持たない我が国。
保守化層が管理国家を望み、人種差別のない国ブラジルが貧富格差あるゲットーを生み出した歴史を知るべきなんじゃないかと思う。

民主化した後も貧富格差から抜けきれないブラジルは1990年代、ストリートチルドレンの虐殺、満員となったカランジル刑務所の暴動と弾圧という流血で大地を汚す羽目になる。

その時、カエターノは「サンバは死んでいない」と「サンバがサンバであった時から」を歌う。

YouTube : Caetano Veloso y Gilberto gil -desde que o samba e 13/25

少子高齢を顧みない今の日本の国情はやがて行き詰まり、ブラジルの歩んだ道を歩むのかも知れない。

現在、ブラジルは富裕層の消費頭打ちで、どのように格差を是正し、せっかくの好景気を持続させるかが課題と聞く。

カエターノの歌う姿に過去の過ちを知ろうとする若者たちの姿に今の日本が見失ったものを観る思いがするのだが。

YouTube : Caetano Veloso - voce e linda - 2002 - 7 /24

男どもが その腐った権力を行使している間に
飢えや怒りや乾きのせいで 死んだり殺したりすることが
どれほど自然な行為であることか
カエターノ・ヴェローゾ「ポードゥリス・ポデーリス(腐った権力)」

YouTube : Caetano Veloso-Podres Poderes (clip do Fantastico)

与党国会議員は審議という職務を放棄し、国家の将来を国民にゆだねられた日本はブラジルと同じ十字架を背負ったのだろう。

2007-04-12

カルトーラ Cartola

その名前を口にするだけで幸せになれそうな、あこがれの人。カルトーラ

その人の生前の歌う姿を収めたDVDが発注から数ヶ月して、手元に届き、観た。

モノクロの陰影の濃い画面に映し出されるカルトーラの弾き語り。

貧しいながらもリオ・デ・ジャネイロの裏山マンゲイラで好きな歌を歌い、仲間達とエスコーラ・デ・サンバ(サンバ学校であり、サンバ共同体)を作り、近隣のエスコーラ・デ・サンバと競い合うカーニバルを生み出した立役者。

ゲットー化した後、一線を退いたけれども、返り咲き、マンゲイラのために活動を続け、マンゲイラの地で眠りについた。

収められた映像は初のメイン・レコーディングを終えたプロモーション用に撮られたものという。

時は軍事政権下、カルトーラはいつも歌で人生を語る。

「人生は風車」

よくお聞き。
気をつけるんだよ。人生は風車。
君の夢を細かく、細かくすり潰す。
幻想を粉々にしてしまう。
よくお聞き。
死んだ者が遺すのは、シニズムだけ。

君がいるのは、深い淵のへり。
君自身の足が掘る、淵のへり。

「沈黙のバラ」

僕はバラに語りかける。
だがもちろん、バラは黙ったまま。
バラはただ、君から盗んだ香りをまき散らすだけ。

僕の瞳に映る悲しみを、
君に見せたかった。
僕の夢を、君もまた見てくれるだろうか。

「愛するマンゲイラ」

緑は青空と同じで希望を
白は水のしずくに似て出逢いの喜び
頬が染まった赤色は私の好きな色

そして黒は悲しみの色
カーニヴァルの終わりのあの悲しみ
そう、黒はこの世の人生全ての悲しみの色

「日は昇る」

微笑んで生きていたい。
涙にくれて、青春を失ってしまったから。

嵐が終われば、日はまた昇る。
この想い出が消えたら、誰かまた、愛する人を見つけよう。

陳腐だから、愛。
それすら出来ない者がホラを吹く。

映画「シティ・オブ・ゴッド」ではカルトーラの曲をバックにストリートチルドレンが殺し合いを繰り広げるのですが。

YouTube : City of God

2007-04-11

朋あり、鬼太鼓 Tomoari Ondeko

画像 : 林英哲

心の奥底の憧れに鬼太鼓がある。

五穀豊穣を願い、悪霊を払う鬼達の太鼓。
ここでは豆を蒔くのは鬼達である。

中上健二、梅原猛の「君は縄文人か、弥生人か」で「鬼」は朝廷に反逆する者として語られ、「鬼」の文化が日本の古層文化であるという語りがあるのだけれども、アイヌの歌の魔よけ、佐渡の鬼太鼓、そして、山岳密教から念仏踊りを経て、生き続ける日本のダンス・ミュージック、江州音頭、河内音頭の音頭取り、沖縄のエイサーなど朝鮮半島から押し寄せてきた天皇家の「朝廷」から土地を守る「鬼」たちの祭りは各地に残っている。

後に鬼払いと読み替えられる「豆捲き」も正しくは悪霊払いの鬼達の「豆蒔き」なのだろう。

その鬼太鼓を世界に知らしめた「鬼太鼓座」、そこから派生した「鼓童」、そして、林英哲。

それらのビデオクリップをYouTubeで拾い集めてみた。

林英哲のビデオクリップは知恵遅れの姪子、奈緒ちゃんを記録し続ける伊勢真一監督が撮った「朋あり」

伊勢真一監督との対談で観客にお尻を向けるのは抵抗あったが、叩く太鼓の音が最も良く聞こえるのがあのポジションと語る林英哲。

朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや

韓国のサムルノリ、アフリカ・ギニアの太鼓の名手たちと集うセッションは「私は戦いの烽火のために太鼓を演奏したことは一度もない、私は祝福のため人々のしあわせを祈って太鼓をたたいている」と誰もが母親の胎内で聴いた命の槌音を思い起こさせる響きを奏で、時空を越えた出逢いの旅へ誘う。

日本が何故、「和」の国なのか、少しは判るかも知れない。

2007-04-10

三宅島 Miyakejima.

石原慎太郎都知事の爺ちゃん、3選を果たした直後の8日の記者会見で、阪神大震災(95年)について「(自衛隊に派遣要請する)首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と余計な事云うから、忘備録、書きたくなった。(笑)

2000年三宅島噴火


  • 8月18日に雄山から再噴火した三宅島

  • 倒壊した家屋(新島若郷地区)

掲載画像の時、島民は島にいた。
[消防団 三宅島噴火及び新島・神津島近海を震源とする地震による災害]

  • 8月18日17時2分から1時間半にわたって,10月末時点までで最大規模かつ最も激しい噴火
  • 8月29日04時35分から数時間にわたって大規模かつ激しい噴火が起き,噴煙高度が8000mに達するとともに火砕流が発生
  • 9月1日,東京都が9月4日までに島民全員を島外避難させる旨を呼びかけ

村落単位の避難も引き受け手なく、無作為の避難指示により、老人などの孤立性活が強いられ、子供達も親元離れてのあきる野市の秋川高校に避難。

両親恋しさに公衆電話に子供達の行列が出来たと当時参加していた三宅島応援メーリングリストに報告されもした。

死ななきゃいいのかねぇ。

東京のいつか起きる震災で同じ事態が起きない事を願う。

  • OhmyNews : 2000年 8月三宅島噴火の忘備録

2007-04-09

風に吹かれて Blowin' In The Wind

祭りの後、勝ち負けに一喜一憂はまさに賭博社会。(笑)

Blowin' In The Wind
風に吹かれて

ボブ・ディランがフォーク歌手のオデッタが歌う「競売はたくさんだ(No More Auction Block)」のカヴァーをしたこの曲。

わたしを競売台に立たせないでおくれ
もういい もうたくさんだ
わたしを競売台に立たせないでおくれ
おびただしい数の人が売られていった

親方の鞭はもうたくさんだ
わたしに降り降ろさないでおくれ
親方の鞭はもうたくさんだ
数えきれない人たちが犠牲になった

ボブ・ディランは黒人哀歌のこの曲をベトナム戦争当時の1960年代に当てはめ、歌う。

いくつの道を歩いたら
ほんとうの人間として認められるのか
いくつの海を飛び越えたら
白いハトは砂でやすらげるのか
そしていくつの弾丸の雨が降ったら
それらがなくなるのか
そのこたえは、友だち、風に吹かれている
答えは風に吹かれている

YouTube : Bob Dylan - Blowin' In The Wind

後にステーヴィー・ワンダーが今もこの曲を歌わなきゃならないのが不幸だと語り、歌いもした曲。

YouTube : Stevie Wonder - Blowin' in the Wind (Live)

そして、サム・クックに「人種と政治のこととをポピュラー・ミュージックにのせて人前で歌ったのが白人の坊やだったなんて、黒人パフォーマーの俺にしちゃきまり悪いことだぜ」と言わしめ、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム A Change Is Gonna Come」を発表させる原動力となった曲。

YouTube : Sam Cooke - Blowin' in the Wind

風吹く良き日に思う事。

2007-04-08

ナショナル・ソング national song

昨日、仕事途中、札幌のシャッター通り「狸小路」にて鈴木宗男さんを見た。

応援されている知事候補より精力的に動き回るその姿は良くも悪くも日本の政治家なのだろうし、彼にとっての「復興節」なのだろう。

「ここがやられたら、日本は麻痺するからね。」
石原都知事がかつてテロ警戒に際し、こう述べられていたけれど。

騒ぎの最中生まれた子供
付けた名前が震太郎
アラマ オヤマ
震地に震作 シン子に復子
その子が大きくなりゃ
地震も話の種
エーゾ エーゾ
帝都復興 エーゾ エーゾ
添田さつき作詞「復興節」より

そう、今年の日本の選挙は「格差復興」「夕張復興」「能登復興」「温暖化復興」の復興選挙。

判断間違えば、自爆国家まっしぐらなのだろう。

「君が代」裁判やら「スペイン語版星条旗よ永遠に」の国家危機の話題からちょっと「ナショナル・ソング」をYouTubeで集めてみる。

  • ブッシュ爺が嫌った「スペイン語版星条旗よ永遠に」
  • ジミヘン伝説のエレキ版「星条旗よ永遠に」
  • 忌野清志郎発禁ソングの「君が代」
  • 桑田佳祐のはにかみ「君が代」
  • 映画「カサブランカ」におけるナチス国歌に対抗し歌われる「ラ・マルセイエーズ」
  • トスカニーニ指揮の「インターナショナル」
  • 朝鮮民主主義人民共和国「愛国歌(朝は輝け)」
  • 今は亡き国家ドイツ民主共和国「廃墟からの復活」パンク版。

抵抗のナショナル・ソングがいつしか強制のナショナル・ソングへ。そして、国は滅ぶ。 国破れて山河あり。

起て!飢えたる民よ
起て!我が同胞!
蜂起の時は来た 今こそ戦わん!
自由となる日 旗は赤く燃え
奴隷で無く自由の民なのだから

本当のナショナル・ソングとはなんなのだろう。

EC共同体のナショナル・ソングの替え歌が今時のナショナル・ソングと思う。

全ての生物は僕らを噛み砕かんと
復讐の眼を光らせ心中をせまる
天地は僕らを同化せんものと
大気は僕らをおしつつまんとす

優しきものほど怒りは大きいもの
その怒りがひとつの優しさも
消し去った時にはもう終わり
さあ今こそ歌おう歓喜の歌を
遠藤賢司「歓喜の歌」

2007-04-05

リトル・ブッダ Little Buddha

リトル・ブッダ

キアヌ様が異様に華麗な釈迦を演じた『リトル・ブッダ』

東洋神秘を判っているの判らないのか、判らないベルナルド・ベルトルッチの『東洋3部作』の一本で、話の核となるラマ僧の輪廻転生のお話も物語に終わって観のある映画だけど、仏陀の教えの絵解きは非常にうなずける物があった。

菩提樹の元、ひたむきに悟りを開こうとする仏陀に川辺の船頭の声が。

「人生は琴の弦のように。強く弾きすぎても、弦は切れるし、緩めすぎても、音は鳴らない」

その声を聴いた時から、仏陀に菩提樹の元を離れ、物乞いを始める。

YouTube - Little Buddha [Keanu Reeves] - The Middle way

ラマ僧が仏陀の教えを説く時、水の入ったコップを差し出す。

そこから床に水をこぼし、こぼれた水を差し、『これは何か』と問う。『水だ』では、コップの中にある物は何か。『水だ』

同じ水なのに、コップという価値に惑わされ、水を区別する。

その戒めが『色即是空』

更に例えば100年後、ここにいる我々は誰もいなく、ここにある物もあるかどうか定かではない。

これが『諸行無常』

この世に残る物は意識であり、人は誰かの生き方をまねて、生きようとする。

これが『輪廻転生』リーンカーネーション。

定まらぬ物に迷わされ、むやみに焦ることなく、生きる事が『悟り』であり、『説教』

これだけシンプルに仏陀の教えを描いた物はある意味。貴重。

周りに毒をまき、枯らす大木を伐採すべきか、環境保護すべきか問う黒沢清の映画『カリスマ』で、姿形を変えてもあるのが自然。人が決める事ではないとする『悟り』も仏陀の教えに通じるようで、『生きる』事が『動く』事より大切なのだろうと。

『皆様のために』と朝早くから、夕方までさえずる五月の蠅の御題目を聴き、思う事。

『生者必滅』南無阿弥陀仏

2007-04-04

エキゾチック・ジャパン Exotic Japan

昔、世界の大衆音楽を調べられている中村とうようさんが自費出版で、オーディブックというのを出されていた。

レコードの頃は問題視されていなかったが、CDというデジタル媒体となり、デジタル化で著作権や版権が生じるという訳のわからない理由で発売を止めなければならなくなったように記憶するけれども、僕も当時、買えるだけ買い揃えており、今も家宝として、大切に所持している。

そのひとつに敗戦後の米軍駐留、そして朝鮮戦争の時期に、アメリカとニッポンの接触から生まれた混血音楽を集めたアルバムがあった。

アメリカ人がニッポンをどのように見ていたのか音楽で知る記録であり、ニッポンの音階とニッポンの言葉に惹かれたアメリカ人たちの素直な気持ちが歌われている。

有名曲「ジャパニーズ・ルンバ」はじめ、「ゴメンナサイ」「サヨナラ」「チョットマッテクダサイ」など日本の挨拶言葉を取り上げた歌の数々は人とのコミニケーションを大切に考える日本人の魅力にアメリカ人達が惹かれた証だろう。

そして、食い扶持を稼ぐために駐留米軍向けに歌った日本人歌手達の和洋折衷の歌は例えばジャズやラテンのリズムに民謡を入れたりして、日本の良さを洋楽を借りて、伝える苦心に満ちた物になっている。

アメリカとニッポンの文化交流がここにあり、その裏側には男と女の泥仕合も繰り返された。

今、主権国家としての改憲論が華やかなりし時、国立公文書館でマッカーサー草案を初展示というニュースを目にした。

ネットでもこんなアーカイブが展示されている。

駐留米軍の押し付けなのか、日本官僚のご機嫌取りだったのか。

歴史認識が過去への冒涜にならぬよう、見守りたい。

YouTube - Japanese Rumba ai ai ai

2007-04-03

国の境の始まり Start of boundary in country

ロミオとジュリエット

だいぶ前、まちづくりセンターとなった町内会集会所にお邪魔した時、街の区画決めの話を伺った事がある。

それはその土地の地主さん同士で、どうしてもそりが合わなく、「あいつと同じ町内は嫌だ」という意見が街の区画を決めるそうで、道路でもない隣り合った住宅地で、隣の家は別な町内、別な住所となるというのはそういう理由だそうである。

平たく云えば「ロミオとジュリエット」が国の境の悲劇の始まり。

朝鮮、韓国では「ロミオとジュリエット」への愛着が強いといわれるのも判る気がする。

日本だって、東北、北海道をロシアの占領下にしようという動きもあったというのだから、今のような島国視点ではなく、大陸的な国境概念が日本にも生まれていたのかも知れない。

久々、新聞コラムで読み応えある物をふたつ見つけた。

それは1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」に関する「成果主義」と「格差」の考察と医療改革の反面、未だ変わらない不審死の死因究明の制度で解明されないまま葬られるCO中毒死や薬物中毒など外観で異常出にくい死因の話。

国ざかいの内と外、見過ごされているのは人の命であるのだろう。

YouTube : What Is A Youth
  • OhmyNews : 国の境の始まり

2007-04-02

国の歌あれこれ Song in country...etc.

画像 : 細石(さざれいし)

歌詞としては世界一短いらしい。

君が代は 千代に八千代に
細(さざれ)石の
巌(いわお)となりて
苔の生すまで

意味

君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。

勘違い

細石(さざれいし)の 岩音鳴りて

僕もこう思っていた

細石(さざれいし)の 岩男となりて

「筋肉マン世代」の勘違いもあるそう。

国歌としたいのは環境破壊進むこの国の運営者たちの他力本願の願望なのでしょうね。

この国の運営者たちがお隣と思っているアメリカちゃんは日本との間には真珠湾があるという正しい地理的認識を持っているようで、もっと正しい「硫黄島」もあるとするクリンスト・イーストウッドの地理的認識のように、戦争の度に白人人口が減少するこの国の今の悩みはスペイン語のアメリカ国歌による英語の権威の失墜。

その問題のビデオクリップ

子供達を米軍基地に連れて行き、アメリカ国旗はためく中、日本語でアメリカ国歌を歌うというのもこの国のトレンドになるかも知れない。

少子化対策抜きの憲法改正論は、「国民総玉砕」的な国家主義者の国家破戒に思え、いとおかしけり。