2008-09-30

欲説還休 My desire.

バブル崩壊後に出版された『エンデの遺言』に、「昔、街の中心には教会(日本ならば神社仏閣)があったけれども、今は銀行がある」というような文句があったけれども、金が世界を牛耳る時代。

総理大臣であろうが、ホームレスであろうが、会社経営陣であろうが、フリーター若年層であろうが、お金のために動き回るご時世。

世界恐慌が始まっているとも云われるのに、どこ吹く風のジャパン・マネーはアメリカ企業買収に奔走しているそうで、アメリカで起こっている事を愛するわが祖国でも再燃させようと「ブーム」と「危機」の違いも見境なしにはしゃぐ企業投資家たちはまるで少年のよう。

自分の老いを思い、若きを振り返る辛棄疾の詞を読み返すと、老いる事を忌み嫌い、若作りの爺婆たちが、看取ってくれるはずの若者たちを押しのけ、ピーターパン・シンドロームにはしゃぎ廻っているみたいで、馬鹿みたい。

極楽望んで、地獄を作る高齢化社会の行く末は、便利機器に老いを忘れて、孤独死するのだろう。

レジ袋も有料化が始まり、社会負担はみんなのもの、社会福祉は自己努力が強まる政治無風の秋風の日々、「天涼好個秋(天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね)」というしかないのだろうね。

少年不識愁滋味,愛上層樓。
愛上層樓,爲賦新詞強説愁。

而今識盡愁滋味,欲説還休。
欲説還休,却道天涼好個秋。

少年の頃は愁いの味わいを識らず、
高い塔に上り、色事をいたずらに好みもした。
高い塔に上る事で、欲を満たしてもいたけれども、
新しい詞を作るために、無理矢理、愁いを装った。

年長けた今は、様々な愁いを味わい、知り尽くし、
愁いを説こうとしなくなった。
愁いは言葉で言い表せぬもの、
あえて云うなら「天高く、涼しくて気持ちのよい秋だね」と云うしかないだろう。

2008-09-29

相看涙眼 Tears of parting

遊女たちに愛された柳永は惨めな最期を遂げたと云うが、遊女たちに弔われ、毎年、墓参りも行われたという。

別れの哀しみを詠んだ詞は、別れる前の哀しみと別れる時の哀しみと別れた後の哀しみを唱う。

秋が深まるこの頃、人恋しさの源流を知る。

寒蝉淒切,對長亭晩,驟雨初歇。
都門帳飮無緒,留戀處,蘭舟催發。
執手相看涙眼,竟無語凝噎。
念去去千里煙波,暮靄沈沈楚天闊。

多情自古傷離別,更那堪、冷落清秋節。
今宵酒醒何處?楊柳岸、 曉風殘月。
此去經年,應是良辰好景虚設。
便縱有千種風情,更與何人説。

秋の寒い風が吹いても鳴き続ける蝉の音はもの凄く切ない。
あなたを送る旅宿での宴も、夜の帳がおりて、
降りしきる雨もようやく止んだ。
都の外れで行われる別れの宴は悲しく味気の無い事か
まだまだ別れたくないのに、船頭は出発を催促し始めた。
手を執り合い見つめあう互いの目に涙があふれ、
のどが詰まって何も言えずに咽び泣くだけ。
あなたがこれからはるか彼方へ旅立つ事を想えば、
江南の空は夕闇に深まり、その広さが増していく。

昔から情愛深い者にとっては別れの辛さは格別なのに、
清らかな秋の気配の中、どうして辛さはたえられるだろうか。
今夜の酒の酔いはいったいどこで醒ませばよいだろう。
眠れない夜に柳の岸に立ち、明け方の風と空に残った月をただ見ている。
この離別の後の年月、どんなに美しく楽しい光景に出会えたとしても
見かけのだけにしか過ぎない事だろう
その風情を誰と語り合えるのか。

2008-09-27

人約黄昏後 After dusk, I met him.

密会していた彼氏と今年はもう逢う事はないと嘆くこの詞の作者、朱淑真は粗野で俗物な夫との結婚が不本意で、愛人との逢瀬の情を詞にしたためた。

不埒なこの詞は人の性(さが)を描き、千年後の今日にも歌い継がれている。

「正しさ」を競う今の無数の文章で、この詞のように千年後も読み継がれるものはあるだろうか?

千年の愉楽は道徳ではなく、人が描けているかどうか何じゃないだろうか?

残念ながら、テレサ・テンの歌のYoutube動画はないみたいです。

去年元夜時,花市燈如畫。
月上柳梢頭,人約黄昏後。

今年元夜時,月與燈依舊。
不見去年人,涙滿春衫袖。

去年の元宵節、旧暦正月十五日で、その年の最初の満月の夜、
花の市の灯籠は昼のように明るかった。
柳の梢の頭の上に月はのぼり、
黄昏の後、暗くなってから彼と秘かに逢う待ち合わせの約束をしていた。

今年の元宵節の夜、月も灯籠も去年と変わる事はない。
けれど、去年の彼にはもう逢う事はない、
正月の晴れ着の袖は、涙で濡れてしまった。

2008-09-26

萬葉千聲 Voice of leaf of myriad

中国・宋の時代、唱われた「萬葉千聲」は、いなくなった人への未練を唱う詞で、恨みと愛おしさが入り乱れる。

それだけ人はひとりでは生きていけないものなのだろう。

政治の世界でも、劇場政治を演出した小泉氏が引退するらしい。

それに対する世論を煽るマスメディアがにぎやかな昨今、恋歌にはない嫌らしさが「万葉の声」であるかのように聞こえて来る。

うちのブログでも「政治は政治家がするもの」とかいう書き込みがあり、ちょっとビックリした事もあったけど、そうだから、年金不正があり、耐震偽装があり、食の自給が低下しているんじゃないだろうか。

もっと純粋に恋いこがれる恋歌を「万葉の声」にしなければ、政治は身勝手なものになってしまう。

人はひとりでは生きていけないものなのだから。

別後不知君遠近。觸目淒涼多少悶。

漸行漸遠漸無書,水闊魚沈何處問。

夜深風竹敲秋韻。萬葉千聲皆是恨。

故欹單枕夢中尋,夢又不成燈又燼。

別れた後、あなたはどこにいるのだろうか。
目に見える物は寂しさばかりで、憂い悶えてしまう。

君はだんだん遠ざかり、いつしか連絡も途絶えてしまう。
まるで広い海の中の一匹の魚を探すかのようだ。

夜も更け、風が竹の葉を吹き鳴らし、秋の音が漂い、
何万もの葉音は別れを惜しむ呻きのようだ。

枕に添い寝し、夢の中君を尋ねたいのに、
夢見ることもかなわぬうちに灯りも尽きてしまった。

2008-09-24

臙脂涙 woman's tears

淡淡幽情』で三曲唱われている南唐の王、李りくの幽閉後の詩の一編で、季節の流れと女性の涙を重ね合わせ、「人生とは心残りが付き物」と唱った詞。

「悔いのない人生」が美徳とされるがむしゃらさも人生につまずく事で、見失っていたものが見えてくる事もある。

ゆとりとはそんなものなのかも知れない。

林花謝了春紅,太匆匆。
無奈朝來寒雨晩來風。

臙脂涙,留人醉,幾時重。
自是人生長恨 水長東。

春を彩った花たちも散ってしまい、
季節の移り変わりは慌ただしく過ぎていく。
どうする事も出来ない、毎朝の冷たい雨と夜ごと吹く風。

化粧をも落とす女の涙は、人を留めて酔わせてしまう、
このような情景にいつまた逢えるだろう。
人生とはこのようなものかも知れない、
心残りとて、河の水とともに東へと流れるのだから。

2008-09-23

有誰知我此時情 Who understands my feelings?

妻ある人を想い慕ったラブ・ソングは、後にその妻に知られ、その想いを許され、妾として迎え入れられたという。

歌人の思いが叶ったのか、妻が夫の浮気封じに講じた策なのかとゲスの勘ぐりをいれてしまうし、愛人と妻の想いに翻弄される男が滑稽に思えてくるけど、「尋好夢、夢難成」(あなたの夢を見たいけれども、その夢すらなかなか見られずにかなわない)とまで唱われる男はやはり男冥利に尽きるとも思う。

そこまで思われる男とは、私欲でしか動かない男なんかじゃないのかも知れない。

この詞を読み、愛人を迎え入れた妻はそこまで想われる夫を誇りにしたから、愛人を迎え入れたのだろうし。

安っぽいインスタント・ラブの時代には判りにくい事なのだろう。

玉慘花愁出鳳城、蓮花樓下柳青青。
樽前一唱陽關曲、別箇人人第五程。

尋好夢、夢難成、有誰知我此時情。
枕前淚共階前雨、隔個窗兒滴到明。

王の飾りの艶も失せ、花も愁う時、あなたは城を離れる。
蓮の花や楼の下の柳も青々としている
酒の樽を前に別れの「陽関曲」を私が唱ったあの人は遥か彼方

あなたの夢を見たいけれども、その夢すらなかなか見られずにかなわない
誰が分かってくれるだろうか、私のこの心を
枕に流す我が涙、降りしきる春の雨
窓を隔てて共に夜を明かすまで流れ続ける

2008-09-22

清夜悠悠 lonely night

些細な事に多感に反応していた青春期の一夜を詠んだ秦少游は53歳の時に蘇州の華光寺に旅をした時に、水か飲みたくなり、運ばれた水を見て、微笑みを浮かべ、亡くなったという。

人の多感さとは老若ではなく、それぞれが持ち合わせたもののように思う。

それを相対的に見ようすることが多感さを失わさせるようにも思う。

久々の飲み会の後、酔いを覚ますべく、銭湯に行き、自分の体調に気を遣いながらも、風呂に入り、くつろぐ人々の顔を見る事に安堵を覚える。

玉樓深鎖多情種
清夜悠悠誰共
羞見枕衾鴛鳳
悶即和衣擁

無端畫角嚴城動
驚破一番新夢
窗外月華霜重
聽徹梅花弄

王楼に多感な少女がいた。
誰が彼女と寂しい夜を過ごすのだろう?
彼女は枕と掛け布団に刺繍された鴛鴦や鳳凰が皆つがいで描かれている事に、気恥ずかしくなり、
悶々として、衣服を着たまま、眠ってしまう。

突然、何の前触れもなしに軍営のラッパが鳴り響き、
彼女の夢は破られてしまった。
窓の外に目をやると、明るい月明かりと屋根の上の下が見えるだけ
彼女は「梅花弄」の曲を奏で、自分に聴かせたりする。

2008-09-21

芳草無情 Mutable grass and flower

平和な時代、攻め入られる事のない国境を警備する者は、美しい自然に中で、故郷を思い、孤独を噛みしめたという。

出世争いで不遇な立場に置かれた者は、出世した者をうらやむでもなく、争う虚しさを一番よく知るのかも知れない。

今夜は年に一度の会社全体の懇親会。普段は部署事にそれぞれの仕事をこなすだけの日々。近くて遠い知人と酒酌み交わせる宴で、互いの悩みを語り合えるだろうか?それとも微笑み返しで、出世争いのネタ探しに終わるのだろうか。

コンクリート・ジャングルは美しい自然より過酷なのかも知れない。

碧雲天 黄葉地
秋色連波 波上寒煙翠
山映斜陽天接水
芳草無情 更在斜陽外

黯鄕魂 追旅思
夜夜除非 好夢留人睡
明月樓高休獨倚
酒入愁腸 化作相思涙

碧雲の空、黄葉の大地
秋の気配が連なる波のように広がり、
水面には寒々とした靄が緑色に立ち込めている。
山は斜陽に映えて、空は水に接する時、
薫り高い草花は無常である。
その上、日の当たらぬ場所ならば、ことの他のこと。

故郷への想いは心は落ち込み、過ぎた時が思い返される。
夜ごと寂しく独り寝する時、
好きな人を想う好い夢をみられないならば
明るい月の夜、塔に上り、ひとり欄干に寄りかかるのはやめよう
酒が入っても愁い悲しむだけ
酒は相思の涙となるだけなのだから。

2008-09-20

幾多愁 A lot of plaintiveness

政治に疎く、文化・芸術に優れていた中国・五代十国時代の南唐の皇帝・李煜は、宋によって攻め滅ぼされ、幽閉の身となり、愚かさを嘆いて、文化・芸術の才を深めていったという。

「虞美人」とも名付けられたこの詞の「故國不堪回首 月明中」が宋の皇帝の怒りに触れ、猛毒を飲まされ、亡くなったという。

戦国の世の中、どんなに戦略に優れた君主とて、国を想う人の心には毒を盛るしか、術がなかった。

昼の日差しの強さと夜の冷え込みの寒暖が大きくなってきたこの頃、四季の移ろいを感じ、衣替えの時期を案じたりする。

我が身を守る愚かさ、人の世に秀でる愚かさ。
「故国は首をたれてなお、月明かりの中」

春花秋月何時了
往事知多少
小樓昨夜又東風
故國不堪回首 月明中

雕欄玉砌應猶在
只是朱顏改
問君能有幾多愁
恰似一江春水 向東流

春花 秋月 何の時にか了らん
往事 多少(いくばく)かを知らん
小さな塔には 昨夜 又 東風が吹いた
故國は 回首に 堪へず 月明の中

どんなに立派な欄干や石の階段とて まさになお 在り
只 是 若人 年老いるのみ
君に問ふ 能く 幾多の 愁ひ 有りや
あたかも似たり 一江の 春水の 東に向かって流るるに。

2008-09-18

但願人長久 It wishes long life.

テレサ・テンの代表作『淡淡幽情』を聞き返し、添えられたブックレートを読み返し、1980年代、鄧小平(とう しょうへい)と鄧麗君(テレサ・テン)という二人の鄧の逸話に想いを馳せりもする。(常用漢字外のため、姓名がパソコンできちんと表示出来ない可能性あり)

テレサを卑猥な歌手として、入国禁止、そのカセットを持つ者を処罰した中国政府と民主化がなされない限り、大陸の土地は踏まないと宣言するアジアの歌姫の闘いは、出稼ぎ歌手への蔑視扱いし続けた日本ではあまり知られない話。

淡淡幽情』に収められた「但願人長久(長寿を願って)」は今なお、歌い継がれ、四川大地震のチャリティなどでも歌われているらしい事をYoutubeにて、知る。

明月幾時有 把酒問青天
不知天上宮闕 今夕是何年

我欲乗風帰去 唯恐瓊楼玉宇
高処不勝寒 起舞弄清影 何似在人間

轉朱閣 低綺戸 照無眠
不應有恨 何事長向別時圓
人有悲歓離合 月有陰晴圓缺
此事古難全 但願人長久 千里共嬋娟

月よお前はいつからあるのか 酒を片手に天に尋ねてみても
遠い天上世界では 今宵がいったい何の年なのやら

風に乗って帰りたいが 贅を尽くした高楼を怖れ 上空の寒さにも耐えられない
私は独りで舞い 己の影と戯れる
これを人の世のありようと言えるだろうか?

お前は朱塗りの楼閣を越え 綺麗な門を抜け
その光は眠らぬ私を照らす
恨みなどないだろうに なぜ別れの時にこうも満ちるのか

人の世は悲喜交々(こもごも)そして出会いと別れ
月もまた満ち欠けあり
いにしえよりこの道理の前に為すすべは無し
ただ願わくば 人の長久を!
ただ願わくば 遙か遠くにあっても共にあの月を見ることを!

2008-09-16

獨上西樓 go up to the tower in the west alone.

国を滅ぼされ、囚われの身となった歌人が「亡国の足音」を嘆く歌は、好きな人に想いを馳せるように国を恋い慕う。

そんな歌の数々を聴き、嫉妬に狂う侵略国の王はこの歌人を毒殺する。

そんな秘話がある歌を返還問題が騒がれた時代の香港でテレサ・テンはアルバム『淡淡幽情』の一曲として歌った。

無言獨上西樓 月如鈎 寂寞梧桐 深院鎖清秋
剪不断 理還亂 是離愁 別有一番滋味在心頭

黙ってひとり西楼に登り、かぎのような三日月を眺める
奥深い庭の中に一本のアオギリが寂しげに立ち
まるで清々しい秋を閉じこめてしまったようだ

切ろうとしても断ち切れない、鎮めようとすればするほど乱れる
それは何か?それは別れの憂い悲しみ
そして、心の中にはもうひとつまったく違う味わいが残ること

2008-09-14

悪魔除け It drives off a demon.

昨日の晩にスーパー銭湯で、子供たちが露天風呂で走り回って、ひとり転んで、後頭部を打ち、血を流す場面に出くわしました。

泣き狂う子供は、父親らしく人に抱えられ、血は背中一面流れ落ちていました。

更衣室に入るなり、連れの男性客が従業員に救急車を要請し、父親は急ぎ服を身につけていたけれど、その間、転んだ子供は泣きわめき、一緒にはしゃいでいたお兄ちゃんらしき子供は「なんで服を着るの?」と帰りたくない様子。転んだ子供も病院に連れていかる事を悟ったのか、嫌だというようにくずりだし、後頭部の出血も止まっていないのに、逃げようとする。

端で見ていて、照れ笑いするこの子等のお父さんがなんで怒らないのか、不思議だった。

このお父さんに限らず、浴場に連れてくる父親は子供たちにしたい放題させ、エスカレートしても止めもしないケースが多く見られるけれど、後頭部出血という生き死にに関わる時、邪気帯びた子供を叱り、落ち尽かせなきゃ、収拾つかなくなるに決まっている。

ハタ目を気にしながらも、自分の見栄が大事なようで、このお父さんが何となく腹立たしかった。

邪気払う悪魔除けの大切さが忘れられたような今の時代をみたような一こまだった。

2008-09-13

ありがたや ありがたや Thanks and thanks

YouTubeで上々颱風を探していると、江州音頭の生き仏、桜川唯丸師匠の動くお姿が見つかり、狂喜乱舞。

歌声が少し枯れているかなと思いつつ、長尺の音頭囃子が進むに連れ、その語り節は勢いづいて、般若心経で踊り手さん達が踊る場面はやはり圧巻。

引退されたと聞く師匠の近況は日記を拝読すると、江州音頭の近代史をまとめるべく、「おもしろクラブ」なるページを作られている。

肩凝り、眼の疲れなどこぼしつつの力作ページは珍しい写真のオンパレード。

「食て寝て起きてまた食べて 同じ事して死んでいく」この世の極楽を語り続けるその熱意のその一こまをお裾分け。

2008-09-11

花祭りの朝 Morning of Blossom Festival

バブル時代真っ最中の1990年前後に一世風靡した上々颱風の話題が仲間内で出て、手持ちのCD「上々颱風2」が聴きたくなり、今朝、出勤前にパソコンに取り込んで、スマートフォンに入れて、出勤途中に聴いてみた。

地下鉄が地震発生で安全のため、20分もの間、一時停止した時、耳に流れてきたのは、「愛より青い海」「Let' It Be」の他、名曲揃いのこのアルバムで、忘れてはならない曲が「花祭りの朝」。

アジアの音階をポップスにした上々颱風は、ここではサムルノリという韓国の伝統音楽のリズムをベースにした人生歌を披露する。

合間に奏でられる南米のチャランゴの響きもあり、曲のイメージは韓国のアリラン峠から、モンゴル平原のユーラシア的な風景と南米のアンデスの麓に住むインディオたちの生活が重なり合う物で、同じ黄色人種の音楽的ルーツを浮かび上がらせる物でもある。

厳しい自然の中、生き抜くために、カムチャッカからアラスカに渡り、白色人種の「発見」の遙か昔に、新大陸に住み着いたインディオたちの祭りは「花祭り」。厳しい冬を生き抜き、花が芽吹く春を迎えられた喜びのお祭りを祝う歌は「エル・ウマウアケーニョ(El Humahuaqueño)」。「ウマウアカ」は人や物と意味だそうで、「花祭り」は人や物を祝う祭りなのだろう。

生かされるありがたさを知る者たちの命の歌が「花祭りの朝」に歌い継がれている気がする。

そんなことを思うのも、地震という自然現象に足止め食らった時だったかも知れない。

2008-09-10

上々颱風 Shang Shang Typhoon

仕事の合間、30代の友達と音楽の話をしていて、上々颱風を知らないというので、さっそく、YouTubeで教えてあげた。

仕事中の出来事。。。あの日に帰りたい?

2008-09-09

忙しい It is busy.

週末から週明けにかけ、このごろ何かと忙しい。

仕事掛け持ちの身としては、動き回る週末の仕事の後は、足のむくみを取るべく、銭湯なぞに行き、リフレッシュして、平日の仕事に臨むのだけど、このところ、平日の仕事の方も週末の休みの間に入ったFAXのデータ整理で、週明けが忙しい。

二足のわらじの重みをひしひしと感じつつ、来週、再来週のシルバーウィークの連休でやっと人並みの休みを満喫できるかと思うこの頃。

早く来い来い、シルバーウィーク

2008-09-06

Windows mobile

Windows mobileから書き込みテストに挑戦してみる。

買い換えたスマートポーン、Advanced/W-ZERO3 [es]がWindows mobileで動いているので、ネットで提供されているフリーソフトでカスタマイズし、使いやすくしたりしているのだけれど、だいたいのカスタマイズをし終えたのでネット書き込みに挑戦。

画面が小さいので、画像満載のビジュアルブラウザーのみでは使い勝手よくないので、テキストオンリーのテキストブラウザーを入れてみたり、古い文学を集めたサイトとして知られる「青空文庫」の書物を読みやすくしたピュアを入れてみたり、その可能性を試している。

この文章もテキストエディタで下書きをまず書いている。これがうまくいけばケイタイ小説に挑戦なんてね。


テキストエディタ画面


青空文庫ピュア「青空子猫」画面 伊丹万作戦争責任者の問題

2008-09-04

タイタニック Titanic

銭湯の水風呂に飛びこむ若者たちが「『タイタニック』って、こんなんだったのかな?」と語り合っていた。

イメージの貧困、死んで良し。

2008-09-02

人の言葉 People's word

脳性麻痺の友だちのブログに書かれていた日記、「何してるの?」と・・

言語不明瞭だからじゃないんじゃないか。

社会の価値、自分の価値に重きを置き、人の価値観をそれに照らし合わせて、評価するのが当たり前になってしまった今、自分の価値で人を評価して、「答え」を見出す。

社会の価値を疑う事もせず、自分の価値を疑う事もしない。

たかだか数年前の不便さを語っても、「そうだったっけ?」と忘れたふりをし、悩みをこぼす人には「そんな事じゃ」と社会の価値を押しつける。

修正可能を修正不可能にする力。そんなものを今の社会に感じてしまう。