2009-01-31

ミュージック・フェア MUSIC FAIR

いよいよ今晩の「ミュージック・フェア」に岡林師匠、ご登場。

「チューリップのアップリケ」初秘話との事で、被差別部落の知的障害を持つ子の詩をヒントに書かれたというこの曲の話が聴けるみたい。

数年前のコンサートで、岡林氏いわく、年を経て思うには育ての親の父親よりも家を出て行った母親を恋しがるこの詩に、男親の哀れさを感じると仰っていた。

悲惨な状況を歌ったこの歌も今ではすっかりノスタルジックになってしまい、現実社会のニュースの方がはるかに悲惨で、嗜虐的に犯罪犯の処刑なども食事時の茶の間に流れたりもする今日。

「みんな貧乏が悪いのや」と歌うこの歌は心の貧困が広がる今日、人の哀しみを伝え続けているように思う。

2009-01-29

どうしてお腹が The stomach : why.

別に忙しいわけでもないのに、やることは山ほど有り、やることが山ほどあれば、時間に追われる羽目に陥る。

それが理由かどうかは判らないけど、このところ、お腹の調子が余りよくない。

食欲はあるけれども、すぐ腹が下り、トイレの花子さん状態。

「どうしてお腹が」それが問題。

2009-01-27

家財保険 Household goods insurance

先日、利用している損害保険会社から家財保険の満期の連絡が葉書で届き、保険の延長をどうしようか、とりあえず、ネットで調べたりしている。

昨今の金融危機や損保会社の統合などで、今のままの保険会社でいいのか、他の保険会社の方がいいのかとか、今までと同じく10年保証でいいのか、短期にすべきか、積立型がいいのか、掛け捨ての方がいいのかなどなど、先行き見えない金融情勢のこの時期、思い悩むことはいろいろある。

そのうえ、数年前から言われ始めた地震に対する備えをつけるべきかも、このところの地震多発のニュースを聴くと、加入した方がいいか迷ったりする。

情報多様化の時代、情報だけでなく、社会情勢も混迷されると選択肢が多くなりすぎ、生活の保身もままならなくなるし、市場の自由参入やら、地震保険に対する所得控除など、政治がその混迷さに拍車かけている向きもあると思う。

「備えあれば憂いなし」の備えを熟考することなく、合理化、合理化と音頭を取る割には、議員や行政、会社役員の賃金の見直しは語られない憂いは、備えでも何でもないような気がするけれど、今の社会の不安定感って、そんなところにあるのかも知れない。

職場の同僚が災害にあった時に、損失した家財一覧を申告する手続きは、あれもなくなった、これもなくなったと思い返させる分だけ、鬱状態になると体験話を聞かせてくれたけど、あれがいいかな、これがいいかなと思い悩ませるこの時代はもしかすると鬱社会なのかも知れない。

マスメディアに流れる保険関連のコマーシャルはおとぎ話よろしく、結末は残酷なんて御免被りたい事でもあるし。

2009-01-26

免疫 Immunity

無事に年度替わりの職場親睦会の総会も終わった。

年配のお母様方が大半を占めるうちの職場の雰囲気は、子供の頃からお姉様たちの中で育った僕にとっては平気なんだけれども、殿方の中には拒否反応を示す方もおられる事をその準備段階で、会場に向かうエレベーターの中、一緒だった他の会社の方の仕草を見てよく判った。

その方は話し続けるおばさま方の中、目を閉じ、眉間にしわ寄せ、嵐を避けるかのようにその一群が降りるまで、地蔵さんのように身動き一つしなかった。

冷やかしに突いてやろうかとも思ったけれど、酷だから止めたけど、おそらく生まれ育った環境によって、同じ男でも平気と苦痛に分かれるのだろう。

男社会はこじれると顔を合わしながらも、愛想笑いをしつつも、ねちねちと嫌がらせを行うようで、警察部内などで上司に嫌われた部下が昇級試験の日に、身動きできないポストに任務を命じられ、試験を受けられないとか、大企業などで精神的苦痛をおわす事で自らリストラの道を選ばせるなどよく聴くけれども、女社会はこじれると顔を合わす事も愛想笑いもなく、俗に言う「シカト」し続けるようで、女と男、どちらの世界も「渡る世間は」なのだけれど、微妙に違うようでもある。

逆に仲良しグループだと男は飲み食いなどどこまでも付き合うけれども、女はドライに付き合う一線を引くらしい。

女社会の免疫力があるらしい僕などは、逆に男社会のこじれた状況やどこまでも付き合う関係は苦手である。

たかだか男と女だけでもこれほど違いがあるのだから、とかくこの世はままならぬと思って過ごした方が利口なのだろう。

それを知りつつ、人間皆兄弟などと言いたがるカマトトはなんて罪な人とも思いもするし、政治などは茶番の骨頂とも思ったりもするのは、自分の中の女社会の免疫力が大きいのかなとも思ったりもする。

2009-01-25

ここ Here

職場親睦会の年度決算の日。

大きな企業体になるほど、様々な部署があり、様々な思惑が渦巻き、年度決算の総会準備ではそんな話が聞こえてくる。

不景気風の吹く季節、形を追うのみの責任感もそれぞれのエゴにただ振り回されているだけなのにと思うケースもあり、「ここ」があるからこその思惑である事を忘れてしまっているのが歯がゆくもある。

「ここ」は人が集い作るものなのに、集う人の綱引きに振り回され、「ここ」は乱れ、すさんでいく。

終いには職場親睦の必要性を疑問視する向きもあり、自ら「働くだけの場」にしてしまおうする。

「働くだけの場」ならば人は機械にならなきゃならないのに、駆け引き繰り返すこの矛盾。

そんな思惑を繰り広げられ続けるために「ここ」を守ろうとする総会は、実情を示すように低迷している。

「ここ」がなくなるわけがない。「ここ」がなくなればどこかある。

そんな思いが世捨て人を作るのかも知れない。世捨て人の寂しさを知りもしないくせに。

2009-01-23

おくりびと Okuribito

人間誰でも望もうが望むまいが、生まれる時と死ぬ時は人様が手を貸してくれる。

生まれる時は助産の手助けを受け、死ぬ時は納棺師によって身体を清められ、あの世に旅立つ。

昨年度のキネマ旬報ベスト1に選ばれた『おくりびと』を観てきた。

病院へ行こう』などライトコメディの中に社会の矛盾を描く事を得意とした滝田洋二郎監督はここで人生の見送り人、納棺師の仕事をつぶさに描きあげていた。

何故か忌み嫌われる人生の見送り人たちの死者に対する尊厳ある身繕いは、忌み嫌われる由縁など何もないはずなのに、「死」を扱う仕事だから嫌がられるのだろうなぁと漠然と思う。

実母の納棺は間に合わず、立ち会えなかったけれど、養父の納棺時には納棺師のその仕事ぶりには感謝したくなった記憶が蘇る。

映画の中、「人生最後の買い物は他人が決めるのよね」とランク分けされた棺桶の前で語られるように、一番肝心なはずの生まれる時と死ぬ時は我が身を人様にゆだねるのが、この世の習いであり、どんな死に方をしてもそれは変えようがない。

「生き物、生きるために死んだものを食べて生きている」と鶏肉を食事中に皮肉たっぷりに語られる納棺師の社長は食べながら「うまいからなお悪い」とシニカルに笑う。

死とは何なのか、生き物の死がなければ、人は喰うに困るのに、死を忌み嫌う。

斎場の火葬場の職員であるお爺さんが「死は門だと思う」と語る時、人生の見送り人、納棺師の仕事の意味が掴めてくる。

「お疲れ様でした。いってらっしゃい。」

この世というものに固執するあまりに、「死」を遠ざける我々の廻りにあるのは「死」の恩恵。

安眠の地に導く人たちはまるでその故人の生涯の汚れを拭き取るかのように、故人を清め、故人に死に化粧をし、遺族に死に水を与えるよう促す。

納棺師の会社のカレンダーに一週ずつ曜日がずれてマーキングされた友引の日が思い浮かぶ。

時間に追われ、友引なんぞ迷信と云われるご時世、亡くなる時くらいはみんなに泣かれて死にたいもの。そんな事を云うのも忌み嫌われるのでしょうかねぇ。

2009-01-22

福祉的 Welfare

年開けて、二週間、週三日出勤だった平日の仕事も今週から平常稼業となり、なんとか一週間を過ぎ終えた。

お手伝いとして、福祉的な仕事に携わる方々の座談会のテープ起こしをお手伝いしたのだけれど、録音状態が悪く、悪戦苦闘の一週間だった。

けれども、その結びの箇所は福祉現場で働く方々の想いが語られ、共感する内容だった。

長年関わられている福祉の仕事で、高齢になられ、後継者を育成する立場になられた方々と知的障害を持つ方々の身内の方の座談会は、当事者たちの高齢化、福祉行政の経費削減、後継者育成の足かせと議論は多岐に及び、どれもがマトリックスのように絡まり合い、身動き出来ない今の状況の中で、お話しされている方達が学び教えられた福祉の師の思い出話から今の状況で活用出来る事はないかという話し合いで、福祉の師が悪戦苦闘されていた頃は何もないけれど、なんでも出来た時代であり、今はない物はないけれど、何も出来なくなってしまい、あの頃より大変なのじゃないかという話がなされた。

当事者である障害を持たれた方達は長くは生きられないと言われ続け、身内も覚悟を決めていたものの、その当事者も高齢化して、身内よりも長生きするかも知れないという不安に変わり、「明日かも知れんし、明後日かも知れない」どちらかの死に対する備えが出来ているのかという話へと向かう。

福祉現場では当事者に対する身内の思いは親と兄弟では全然違う。兄弟は文句を言えても、親は文句を言えない。障害を持った当事者を「あぁそう、そんなに気にくわないんなら、連れて帰れ」といわれはしないか心病み、我が子を人質にされた様な立場にいるのはやはり親。

だからこそ、職員と親兄弟は五分と五分でいなきゃならないのだし、職員は「人の生き死にを握っている恐ろしさとか、人の不幸を握っている恐ろしさを、知って、知り」しなきゃいけないと力説する。

この話を聴き、福祉の廻りにある「運動」だとか、「法律」だとかにこだわる馬鹿らしさをつくづく思った。

「生活」を守るから福祉であるのに、その「生活」の備えもせぬまま、「運動」だとか、「法律」だとかに舞い踊るのは、自分の首を絞めているようなものじゃないか。

「生活」を顧みない「政治」の中で、人々は確実に老いて、死と向き合っている。

何でもあるけど、大事なものは何もない「今」をとある福祉現場は見つめ、どう動こうか模索している。

2009-01-19

20年 20 years

昨日は変な日だった。20年前に一緒に働いた人と二人、別々に巡り会った。

「俺、もう78だぞ。」と教えてくれた年配者はまだまた足腰もしっかりされており、元気に昔のように悪態をついてくるし、45歳を過ぎたろう奴は近況報告で会話が弾む。

一所に30年も勤めていれば、否が応でもその職場環境の歴史を背負い、こういう風に懐かしい顔とも出逢える。

社会環境が厳しくなり、生存競争で人を出し抜こう、人を仕事のメインポストから外そうとする輩もいる中で、手順通りの仕事はこなせても、職場内の入り組んだ人間模様は長年いる者の方が詳しいのは当たり前。

そこで欲得に走るか、この職場環境を守るために動くかは僕という人間を知ろうとしなければ、判らない事。

ゲスの勘ぐり渦巻く世界、20年前に一緒に働いた仲間と20年前のように会話している僕を遠巻きに伺う職場の後輩たち。

そこに転がる石でも30年もそこにあれば、誰もが目印にするのは当たり前の話なのに。

朋来たりて、楽しからずや。

なまじ、「長くいれば」などと喜びを分かち合うおせっかいなどせずに、当たり前の喜びをただ味わうだけにしておこう。

「千客万来」その意味を理解する人も少なくなった。

2009-01-18

朝焼け Morning glow

昼に雪解け、夜凍り、朝はスケートリンクの通勤路。
ヒートアイランドなのか、温暖化なのか、そんなの知らないけれど、歩くの疲れる。
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ
みなぎる情熱、あふれる命、ファイト!で今日も生きましょう!


  • 朝焼けの道

2009-01-16

地獄に仏 Hotoke in the hell

休日の一日、まずは税務署に行き、昨年の申告分の青色申告の記載ミスを修正申告すべきか聴きに行った。結果、納税額に変化が生じないものだけど、今年の申告で昨年分からの繰越金で調査が入らないように、持っていった青色申告の訂正版を提出するのみで、事が済み、一安心した。

難なく終わったその足で、映画『禅 ZEN』を観に行く。

うちの宗派が曹洞宗でもあり、作った映画監督が高橋伴明という好きな映画監督なので、どんな風に曹洞宗の開祖、道元和尚を描いているか、観たかった。

映画館は宗派の檀家と思われる年配の方々が列を成していたいたけれども、商業化された今日の宗教の中に暮らす檀家はどんな気持ちで映画を観ているんだろうと、映画上映中、そんな事を思いながらの鑑賞となった。

日本の大衆が宗教心を持てるように、念仏を唱えるだけで、極楽浄土に行けると説く他力本願の宗派が権力を持ち始めた頃、「死んで仏にあってなんになる。生きて仏に会うが道」と説く道元和尚は、煩悩にまみれた自分と座して向き合う時、仏と会える」と説いた。

「眼横鼻直」眼は横にあり、鼻は縦にあるという当たり前の事を見過ごす事が煩悩であり、あるがままの自分を知れば、そこに仏が見えてくるという教えは、如何に「死」を受け入れるかに通じていく。

道元の生き様と平行して描かれる遊女おりんの改心の姿は、綺麗事で済まされがちのこの手の話の中で、「醜き事を知ってこその悟り」と若い頃、ピンク映画を撮り続けた高橋伴明は言いたげに描いている。

修羅地獄を乗り越えた時こそ座禅は意味を成す。あるがままを知るとはそういう事なのだろう。

禅 ZEN』を観終えた後、今日しか観られるチャンスがなかったので、映画『リダクテッド 真実の価値』を観に行く。

イラクへの軍事介入したアメリカ軍が何をやったのか。大手マスコミがリダクト(編集)したある事件の前後をドキュメントまがいに描いたこの作品は、断片化されたニュースの裏を見せつける。

緊迫した検問所に配置された数名の兵士は、緊迫した状況下の中、如何に気を紛らわせるかに頭を働かせ、狂気との直面を回避する。しかし、それはまた弱者への迫害でもあった。

映像の魔術師、ブライアン・デ・パルマはその事件を再現する手法として、ハンディタイプのビデオカメラやイラクのテレビ局の映像、インターネットの動画サイトなどを使い、戦争の狂気を見せつける。

自分と向き合えば、狂気にはまる極限社会、自己逃避に向かう米兵たちは更なる地獄を作っていく。

人は極限にならなければ、地獄の恐怖に気がつかない生き物らしい。映画のはしごで日も暮れ、夕闇の中、観た映画を思い返せる自分は仏を捜している。

Google Analytics

Googleのサービス・ツールであるGoogle Analyticsを導入してみて、うちのCinema Novo Bloggerにて試してみて、2週間ほどが経過した。

単純なアクセスログはどこにあるのかよく判らないけれども、様々な角度からのアクセス解析は面白い。

常連さんなのか、一見さんなのかとか、どの地域からのアクセスなのかとか、どのくらいページをプレビューし、どれくらい滞在したのかとかをビジュアル化して教えてくれる。

リンクを張っている箇所のどこをクリックしてくれているかも統計取ってくれており、それらを分析していけば、広告バナーや記事内容などの工夫にも役立ちそうに思う。

ここでの成果を踏まえ、自分が管理している他のサイトにもGoogle Analyticsを導入し、放置しっぱなしのそれぞれのサイトのリニューアルの検討に役立てたい。

その一例として、どの地域からのアクセスなのかの統計結果をお見せします。


国別アクセス

Cinema Novo Bloggerは海外のドメインのアクセスも多いとは感じていたけれども、こうやってみると全世界くまなく知れ渡っているようで。(笑)ただし、滞在時間を見ると、アクセスして、日本語だからかすぐにいなくなるのが大半で、じっくりサイトを見てくれているのは、日本以外だと、イギリス、アルゼンチン、韓国、インドに住む人らしい。都市別アクセスを見ると更に詳しいアクセス解析が出来て面白くもあるし。


都市別アクセス

コラム記事による世界制覇の野望はつきない。

2009-01-14

修正申告 Amended return

昨年度の帳簿の整理をし、国税局の青色申告、確定申告の書式に書き写す作業をしていて、一昨年の帳簿の記帳漏れが判り、どうしたものかとネット検索している。

調べるとどうやら個人事業の場合は税務署に「修正申告」をするだけでいいらしいのだけれど、期末残金を多く申告しただけで、還付される税金はすべて返ってきているので、余り意味がないように思えるのだけど、一応、税務署に聞いてみようかなと思ったりする。

昨年度の期首残金と一昨年の期末残金が合っていない方が問題のようにも思うし。

昨年度の帳簿をチェックしていると、支払い履歴が判らなくなっているところもあり、やはりまめに整理していないと駄目だなぁと改めて思ったりもする。

こんな苦労をして申告し、納税した税金が何故かその使われ方に関しては結構無関心なのはやはり不思議としか言いようがないのだけれど、確定申告の時には真剣に税理士に食い下がるように、税の使われ方ももっと食い下がるべきと思うのは僕だけじゃないと思うのだけど。

かつて世界の長者番付にランクインされる人が脱税して捕まったという「国辱」も受け流してしまう国だからあきらめもあるけれども。

2009-01-13

Outlandish

統計局の人口推計月報のページにある年齢(5歳階級),男女別推計人口の表を見ると、最も人口が多い55歳から59歳の方達が997万人、これから労働人口に加わるであろう15歳から19歳の人口が620万人、単純にこの二世代の人口差を労働人口の減少と捉えるならば、377万人の減少となり、今までの日本経済の維持を単純に考えるならば、この377万人を労働移民などから確保しなければ、日本の国は活力が衰えるという見方がある。

これは単に日本のみの問題ではなく、欧米の先進国はこの労働移民と現地に暮らす母国人との生活習慣の違いの問題や税収を労働移民に依存する割合が増えていくために起こる異文化混合の「国家」のあり方などその問題点は多岐に渡っているという。

移民の国アメリカ合衆国などは大きな戦争の度に国を支える若手が戦死し、第二次大戦後の黒人たち、ベトナム戦争後のヒスパニック系の社会進出で、人権運動が盛んになった歴史を持つし、フランスの移民の暴動デモも記憶に新しいと思う。

ドイツや北欧では冷戦崩壊後の東欧からの難民や異常気象による干ばつ被害によるアラブ、アフリカの難民の受け入れと国内の構造不況のためによる母国人のカナダなどへの移民が増えているという話を聴きもした事がある。

そんな国際情勢下、1997年デンマークはコペンハーゲンで結成した移民二世の3人組ヒップホップ・ユニット、アウトランディッシュ(Outlandish)の2005年に発表された3rdアルバムを昨年暮れに入手し、聴いている。

ルーツをモロッコ、南アメリカのホンジュラス、パキスタンに持つ3人のサウンドはヒップポップをベースにしつつ、ラテンやアラビックなメロディを聴かせ、歌われる言語も英語、アラブ語、スペイン語、ウヴドゥ語と多様を極めている。

国際的に話題になっているこのグループのアルバムは残念ながら日本国内での発売はされておらず、歌われている歌詞の内容は判らないけれども、移民二世のアイデンティティを歌ったもののようで、ラスト前の曲「I Only Ask of God」はラテンアメリカの超有名曲である「ただ神に願う事は」のカバーであり、9.11から始まったアメリカによるテロ撲滅宣言に対する、アメリカこそ神の裁きをとする向きのテーマソングとして、YouTubeにビデオクリップがアップされている。

先進国の少子化と第三世界の貧困が労働移民として顕著化した今日、日本にもその波は押し寄せてきているのは街でよく見かけるようになった様々な国の人たちを思い返せばよく判る。

そんな彼らのアイデンティティソングはこの先、「国家」という価値自体を揺るがしていくのだろう。

ただ神に願うことは Solo Le Pido A Dios

神様にお願いしたい ただひとつ
苦しみも わたしのものにしてください
わたしが死ぬ時にたったひとり
やりたかったことも出来ずに死にたくない

神様にお願いしたい ただひとつ
不正も わたしのものにしてください
キリストは左の頬を出せといったけれど
こんなに殴られて もういやだ

神様にお願いしたい ただひとつ
戦争も わたしのものにしてください
そいつは大きな化け物で踏みつぶす
悪を知らない私達の貧しさまでも

神様にお願いしたい ただひとつ
嘘も わたしのものにしてください
民よりもひとりの裏切り者の方が
力があるなら そいつを忘れないように

神様にお願いしたい ただひとつ
未来も わたしのものにしてください
幻滅に逃げることのないように
他の文明に生きなくてもすむように

2009-01-12

その土曜日、7時58分 Before the Devil Knows You're Dead

今年のキネマ旬報のベスト10の発表を知り、そのリストを見ていて、80代半ばのシドニー・ルメットの新作がノミネートされているのに、驚き、札幌市内の映画館で今も上映されている事を知り、取りも直さず、観に出かけた。

欲望のためならなんでもする兄が、弟に、両親の経営する宝石店を襲う企てを持ちかける。

アメリカの中流家庭の家族崩壊を「その土曜日、7時58分」を機軸として、そこに至るそれぞれの心理行動とそこから始まる崩壊劇が、名匠シドニー・ルメットの手腕で描き出されていく。

「携帯は身体に悪いから持たない」と言い放つ兄は「ブラジルは犯人引き渡しの条約を結んでいないから安全」とも語る根っからの悪であり、気弱な弟を巧みに威圧していく。父は自分とよく似た兄を好まず、弟を可愛がっている。

十二人の怒れる男』や『狼たちの午後』など個人個人の人間模様から政治的な問題を浮き上がらせる事を得意としたシドニー・ルメットは、ここでも犯罪劇を通し、犯罪の奥底にある互いの憎悪と孤独を浮き上がらせる。

2000年代に入ってもなお、何本か、映画を作っているのは映画データベースサイトIMDbシドニー・ルメットのページで確認していたけれど、何故か日本では公開されなかっただけに社会派サスペンスの巨匠の健在ぶりを知る一本の公開を素直に喜びたい。

原題「Before the Devil Knows You're Dead」(悪魔があなたの死を知る前に)

2009-01-11

幼なじみ Childhood friend

職場の従事員たちで作る親睦会の総会を控え、準備に追われるこの頃、その議案書を印刷するため、事務所のコピー機を使わせて貰った時、所長にずっと気になっていた幼なじみの行方を聴いた。

先日、ここでも書いた中学の時の同級生が会うといつも話題にするその人は、僕と同じ職場で事務職をしていたらしく、目出度く職場結婚したというところまでは聴いているのだけれども、今の行方が判らなく、同級生と会うたびに「どこにいるんだろうね」と話題になっていた。

そして、現役で同じ職場だった頃はその事も知らずにお互い働いていたため、顔を合わす事もなく、結局、小中学校以来会わず仕舞いの仲だったので、なおの事、今の行方が気に掛かっていた。

別に再会したいというのでもないから、所長にその後旦那さんの行方を聴いたところで、意味ないのだけれど、そんな「無意味な話」が生活の潤滑油にもなるような気がして、ちょうど聴く時間が出来たので、聴いてみた。

所長の方も聴かれた事が嬉しかったのか、調べてみると云ってくれた。

ああだこうだ思い巡らすよりも動く事であっさり事が進む事もある。

若い頃の想い出が歳を取り、思わぬ恩恵になりもして、「想い出」を与えてくれた時代を有り難くも思う。

今、社会はコスト削減で、ワーキングプアの若い人たちに「実務」ばかりを押し付け、生活の安定を与えようとしない時代。

そんな潤滑油になるような「想い出」を作るか、作らないかは若い人たちの勝手だけれど、「実務」に追われ、「想い出」も作れない社会の中で、我が身可愛いだけの浮かれている人間にはなりたくないし、そんな我が身可愛いだったなら、絶対しっぺ返しを喰らうのが落ちとも思う。

職場環境が厳しくなる時、幼なじみの話は互いに生きる職場作りのきっかけになりはしないだろうか。それともこの厳しさはもう誰にも止められなく、我が身可愛いと開き直るしかないのだろうか。

ただ云えるのは時代という濁流の中に「想い出」を大切にしたいと生きている人がいるという事だけ。

2009-01-09

飲もうよ drink with me.

休日前の昨夜、疲れを癒すために行ったスーパー銭湯で、中学の時の友だちに声をかけられた。

久々の再会に友だちは捕まえた!という感じで、「飲みに行こう」と誘いかけ、こちらも嫌ではなかったから、付き合い、飲みに出かけた。

互いの近況を語り合うたわいのない飲み屋での会話のなか、幼なじみならすぐに声をかける人なつこい友だちが、先日、中学の時の友だちを見かけたけれども、目つきがおかしかったから声をかけなかったという話を聴かされ、「目つきがおかしくなった」その人の事を思ったりもした。

人生半世紀を生きてきて、ひょんなところで再会して、こうやって飲める関係があればこそ、生きる証なのかも知れない。

友だちの子供たちも大人となり、親孝行してくれる話を何気なく話す親父になった友の横顔は白髪交じりで幾重のしわがある。

男の顔は履歴書。次に出逢う時はお互いどんな顔になっているだろう。

2008年度キネマ旬報ベストテン Kinejun Best 10 2008

日本映画


  1. おくりびと Departures(2008年 日本)

  2. ぐるりのこと。 All Around Us(2008年 日本)

  3. 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) The Red Army(2007年 日本)

  4. トウキョウソナタ Tokyo Sonata(2008年 日本/オランダ/香港)

  5. 歩いても 歩いても Even If You Walk and Walk(2007年 日本)

  6. 闇の子供たち Children of the Dark(2008年 日本)

  7. 母べえ Our Mother(2007年 日本)

  8. クライマーズ・ハイ The Climbers High(2008年 日本)

  9. 接吻 The Kiss(2006年 日本)

  10. アフタースクール After School(2008年 日本)
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外国映画


  1. ノーカントリー No Country for Old Men(2007年 アメリカ)

  2. ゼア・ウィル・ビー・ブラッド There Will Be Blood(2007年 アメリカ)

  3. ダークナイト The Dark Knight(2008年 アメリカ)

  4. イントゥ・ザ・ワイルド Into the Wild(2007年 アメリカ)

  5. ラスト、コーション Se, jie(2007年 中国/アメリカ)

  6. イースタン・プロミス Eastern Promises(2007年 イギリス/カナダ/アメリカ)
  7. その土曜日、7時58分 Before the Devil Knows You're Dead (2007年 アメリカ/イギリス)
  8. エグザイル/絆 Fong juk(2006年 香港)

  9. つぐない Atonement(2007年 イギリス)
  10. チェチェンへ アレクサンドラの旅 Aleksandra(2007年 ロシア/フランス)

2009-01-07

リクエスト・ライブラリー Request Library

アメリカの政権交代のお陰なのだろうか?日本未発売のニューシネマの名作群がやっとDVD化発売される!

ラインナップはFox Japanサイトで公開されているけれど、その中で、気になるタイトル・リストをご紹介。

  • 3月6日発売 : 北国の帝王
    レッド・パージを生き抜いた反骨の映画監督、ロバート・アルドリッチ監督の代表作で、1930年代の不況期に列車にただ乗りしようとする移住労働者ホーボーとただ乗りを見つけ出し、我が職を守ろうとする機関手との壮絶な戦いを描いた作品。生き延びるための戦いにおこぼれ頂戴しようとする「若造」を川に突き落とすラストの広大な景観は自然の中で生きる厳しさを伝えきっている。
  • 4月2日発売 : 東京暗黒街 竹の家
    低コストのB級映画を作り続けたサミュエル・フラー監督が敗戦時の東京を舞台に作った犯罪アクション映画で、風俗描写や生活描写など“外人から見たヘンなニッポン像”が描き出され、公開当時、国辱とまで言われた作品。形のみの欧米化を果たした今ではここに描かれるニッポンも異国情緒なのかも知れないけれど。
  • 5月2日発売 : ハリーとトント
    アメリカン・ニューシネマ以降に庶民を描く事を得意としたポール・マザースキーの出世作で、ニューヨークにひとり住む老人が区画整理のため、住む家をなくし、娘夫婦の暮らすアリゾナへ愛猫と一緒に旅するロードムービー。老いてなお人間である人間賛歌はまた、人間喪失の社会を映し出していた。
  • 5月2日発売 : グリニッチ・ビレッジの青春
    同じくポール・マザースキーの自伝的な作品で、ハリウッド行きを夢見る役者志望の若者が暮らす街の人間模様がリアルに描き出される。「夢」を持てた時代の光景が公開当時の1970年代、うらやましかった記憶がある。今までビデオ化もされておらず、今回が初のソフト化でもあるよう。
  • 5月2日発売 : 結婚しない女
    女性の社会進出が叫ばれ始めた1970年代後半、庶民の機微を描く事を得意としたポール・マザースキーがリアリティに女性の生活を描き出し、その後の「女性映画」の草分けにもなった作品。
  • 夏発売予定 : ニュールンベルグ裁判
    人を裁く事が、弾劾裁判にもなりかねない恐れがある事を描いたスタンリー・クレイマーの有名作で、今までDVD化されていなかったのが不思議な作品。戦犯容疑を問いただす「正義」が故に、ファシズムと同様に尋問で責めまくる時「また、同じ事を繰り返す気か」と審議はさえぎられ、スペンサー・トレイシー演じる裁判官が語る「国家は個人の延長ではない」(A country isn't a rock. It's not an extension of oneself.)社会観の大切さ。それを描いたが故の名作だろう。
  • 夏発売予定 : 日曜はダメよ
    レッド・パージでアメリカ合衆国を追放されたジュールス・ダッシンがギリシャで作ったライト・コメディ。自由に生きる娼婦と知識を持った学者の恋愛話が、博学者に自由の素晴らしさを、自由人には生きる知恵を持つ物語になっていく。タイトル「日曜はダメよ」とは日曜もなしに働かされる娼婦の権利主張を語った物。

かつては世界で一番、どんな情報も入手可能であったシンクタンクの日本もすっかり「売れる情報」だけが売られる国になってしまい、国内の名作映画でも海外ではDVD化されているのに、日本では発売されていない例も多々あり、遅きにせよ、このようなリクエスト・ライブラリーのような形で、情報の時代であった20世紀の遺産を気軽に見られる機会を作って欲しいもの。「日本に行けば、なんでも判る」それが日本の誇りだったのだから。

2009-01-05

人間様が生きている Man is alive.

夢か、マコトか、幻か
人間様が生きている

仕事始めの前の日、Sony系の音楽ダウンロードサイト mora [モーラ]に若い頃によく聴いていた佐々木好のアルバム楽曲があると聴き、落とし、聴きながら、職場に出向いた。

「客観」と題された歌でリフレーンされる「人間様が生きている」が妙に耳に残りつつも、上司や建物内の他の部署の方々、それに声をかけて下さるお客さんに新年のご挨拶を繰り返し、仕事始めも終わろうとする時、ここ数年来なくなった馴染みのお客さんと仲良くしていた年配の方を見かけたので、挨拶をすると、その馴染みのお客さんが昨年の暮れに亡くなった事を教えて下さった。

絵描きを生業とされていたその方とはひょんな事から言葉を交わすようになり、その方の傍に集まる年配者や身体の不自由な方達ともその方をきっかけに話すようになった。

9.11が起こった時、その絵描きさんが戦争談義をしてきて、平和を守るために報復すべきと論じるその方と意見が対立したりもしたけれども、それから間もなく、身体を悪くされて、「社会の心配より、自分の身体を大切にしなさい」などと恐れ多くも説教などしてしまったが、それから間もなく、フロアーに来なくなり、どうしているかと気には掛かっていた。

幾人も人と「今年もよろしく」と上辺の挨拶を交わしつつも、年を越した分だけ、その人の人生と知らず知らずのうちに共に歩んでいる。

亡くなられた事を教えて下さった年配の方に「存分遊んで、長生きしてよ」と思いつくまま、言葉を返しはしたけれど、そんなちょっとした馴染みの方達と共に、僕は生きている。

夢か、マコトか、幻か
人間様が生きている

2009-01-04

インスタントストア Instant store

昨日の「新説SOS」で書こうと思っていた事を忘れてアップしてしまった。(笑)

Amazonで新しい機能として、ログインした状態でサイトを開くと、ツールバーが上の方に表示されるのだけど、Amazonの紹介プログラムを活用している人にはとても便利な機能で、紹介プログラムのひとつであるインスタントストアにお気に入り商品を追加出来る。

試しにと思い、「岡林信康ディスコグラフィ」なるものを作ってみたけど、本当にインスタントにショッピングサイトが作れてしまう。

インスタントストアで買い物されるとそのサイトを作った人にマージンが入る仕組みなので、趣味と実益を兼ねての商品紹介が出来る。

以前から作ってあった「気になるニューリリース」も商品の入れ替えをしてみたし、今年はちょっとこのインスタントストアで遊んでみようかなと思っている。

音楽立国ブラジルには「All Brazilian Music The music from Brazil」なるブラジル音楽史を著名アーティストのディスコグラフィでまとめたとんでもないサイトがあり、これだけの資料性あるサイトなら、音楽ファンも活用しがいがあるというもの。

残念ながら、日本の市場では大歌手といわれる美空ひばりや島倉千代子のディスコグラフィなんかもレコード会社の資料としては残っておらず、マニアが作り上げたディスコグラフィが資料として使われているという話を聴いた事があるけれども、ネット時代になっても、なかなか日本発のそういう資料価値が高いショッピングサイトが生まれてこない。

Amazonの商法など見ているとそんなマニアの商品知識を如何に活用するかがベースであるから、インスタントストアなどで資料サイトを作って欲しいのだろうし。

かつては専門知識を内部に要していたショッピング経営がネット環境になった事で、一般のマニアックに専門知識を求め始めた紹介プログラムはそんな意味からも乗っても損はないと思いもする。

ここ数年、世界中のAmazonの紹介プログラムを試し、わずかながらもそれぞれの地域のAmazonギフトをいただき、世界制覇を自分へのご褒美としているので、まずはマニアックなご招待。

  • Amazon Network
    Amazon.co.jp|Amazon.com|Amazon.co.uk|Amazon.ca|Amazon.fr|Amazon.de

2009-01-03

新説SOS New theory SOS

超有名曲であるピンクレディの「S・O・S」も今の若い方々の中では知らない人がおそらく多いのだろう。10年ほど前にはアニメの挿入歌で使われていたみたいだけれども。

男は狼なのよ 気をつけなさい
年頃になったなら つつしみなさい
羊の顔していても 心の中は
狼が牙をむく そういうものよ

このひとだけは 大丈夫だなんて
うっかり信じたら
駄目 駄目 駄目 (駄目) あー駄目駄目よ

S・O・S S・O・S
ほらほら呼んでいるわ
今日もまた誰か 乙女のピンチ

この歌への返歌を皆さんはご存じだろうか?

格差時代でなのか、団塊世代の懐メロなのか、発売不可能といわれたオリジナルアルバムが矢継ぎ早に復刻され続ける岡林信康。その中でも最大のブーイング・アルバム「セレナーデ」も無事復刻され、フォークの神様、岡林さんはどうしちゃったのといわれた「新説SOS」もやっと聞く事が出来ました。

狼なんかじゃありません 男は悲しい生き物よ
騙したつもりが騙されて 掴んだつもりが檻の中
おいしい話は 疑って 納得ゆくまでジックリと

このひとだけは 大丈夫
そんな気持ちが ああ甘い
ダメ!ダメ!ダメダメよ

S・O・S S・O・S
ほらほらどこかで呼んでいる
今日もまた誰か 世間の晒し者

後に「酒持って来い!」という歌の最後で、「母ちゃん、ゴメン」と語った岡林さんなら、こういう歌を歌ってもおかしくないと思うのだけど、人など関心なく、主義主張を求めたがる聴衆には理解されないわなと妙に納得してしまうこの歌。

70年代の歌謡曲の編曲を巧みに取り入れた他の曲たちは気恥ずかしくなるし、「スーパー・トンデル・レディー」の岡林さんの飛ばし様はちょっと引くけれど、人と人の化かし合いがこの世の中なのよとでいわんばかりの岡林ソングの王道は男と女、男と男、女と女、そんなの区別する事ないやんけという至極当たり前の理屈であるだろう。

実生活の諸問題と政治を別物にするから、「右、がんばり、左、負けるな」と政治のプロレス中継を望むのだろうし、汚い一票を清き一票にしてしまうオンナ男、オトコ女の議員にこの国の政治を託しもして、気がつけば次の世の中を背負う子供のいない社会を作ってしまったのだろう。

頭でっかちの批評家より、このブーイング浴びた「新説SOS」をカバーした笑福亭鶴光の芸人根性の方がわたしゃ、評価したいもの。

狼なんかじゃありません 人間は悲しい生き物よ

それで別にいいじゃん!

2009-01-02

初夢 First dream of the new year

年越して、元旦の夜に見る夢を初夢というそうで、どんな夢を見ましたでしょうか?

人間、不思議と貧富格差関係なく見られるのが夢で、「落ちる夢」ははい上がる兆しらしく、登り詰めると後は落ちるだけとも聞いたりします。

いつでも夢を、夢で逢いましょう。この世は夢の中。これは夢でごじゃる。

夢にまつわる流行り言葉は数知れずありますし、それだからこそ神経症でもある不眠症は夢を見られないから、苦しいのでしょうし、また、夢に玩ばれるほどに人は寂しい愚か者なのでしょうね。

ラテンアメリカ文学に「閉じられたドア」(ホセ・ドノーソ作)という夢の続きを見たいがために生き、生きるがために喰い、喰うために働き、働くがために強いられ、のたれ死にした時に「閉じられたドア」の向こうを見る事が叶ったような幸福な死に顔を見せる男の話があります。

明日を「明るい日」と書く人間の歴史は夢に玩ばれ、夢に生き、出来もしないおとぎ話で社会を作り上げようとする。そんな愚かさの歴史なのでしょう。

「明日は野となれ、山となれ」

今、自分が生きている事だけが真実といういにしえの庶民たちのハングリーさはだからたくましかったのかも知れない。

夢に頼らず、夢を見ず。それが出来ないから愚かさを繰り返す。

一富士、二鷹、三なすび。一無事、二高、三成す日。

煩悩はいつの世も年を越し、数増すほどに欲深くなる。

2009-01-01

御年賀 New year's greetings

年越しで荒れるだろうという予報もはずれ、穏やかな年明け。

「おんねんが」と打ち込むと「御年賀」とはならずに、「怨念が」と変換される。

こいつは春から縁起が。日本の庶民史を追った小沢昭一の放浪芸雑記シリーズ「日本の放浪芸 オリジナル版」「私は河原乞食・考」「私のための芸能野史」を年の瀬から読み続けている甲斐があった。(笑)

「門付」「獅子舞」などなど縁起物の万歳芸も今はすっかり忘れられ、その日本の放浪芸に思い馳せて、年明けを迎える。

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