2009-06-30

風のかたち Shape of wind

友は膵臓ガンだったらしい。

DPIの札幌大会の時に知り合い、札幌近郊で上映会があると知るたびに出かけていっては、お逢いしてきた伊勢真一監督にまた逢いたくなった。

「去年、ここにいた人で、今年、ここに来れなかった人の事を僕なんかはとても思います。

小児ガン病棟の子供たちと自然との触れ合うキャンプを毎年企画する医師たちと10年間、まずは撮ってみようと、小児ガン治療を追い続けたドキュメント「風のかたち」が東京で間もなく公開され、その準備に監督は追われているらしい。

どんな「死」も選択肢が奪われ、それしか選ぶ手段がなくなる事が「死」なのだと思う。

だから選ぶ事の出来るうちは、無数の選択肢を作らなくちゃあいけないんじゃないか。「いい」とか、「悪い」とかの前に。選べる権利こそが生きているであり、選べる環境でこそ、人を知る事が出来るのだから。

「死」はその人がいなくなった事じゃなく、その人がいない事を知る事なのだとも思う。

伊勢真一監督にまた逢いたくなった。

2009-06-29

逝く人 Person who dies

大学時代に一緒に自主上映の活動をしていた友達の訃報を聞いた。

今、自殺をテーマにした小説、重松清の「舞姫通信」を読んでいて、20代の頃、相次いだ友達の自殺を思い出していただけに、病気で亡くなった友の死への思いは、自死とは異なる死に対する無念さを思う。

逝く人を思う時、それは自分の生きている現実とのギャップが逝く人を思う形となると思うわけで、自分がどれだけ「逝く」ということをリアルに考えられるかが、逝く人を思うになるのだと思う。

多くの逝く人を見送った自分はだからこそ、安易に逝く事を語りたくないし、安易に生きる事を語りたくもない。

ただ今は逝く人の無念さに合掌するだけの気持ち。

2009-06-27

アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン I Come With The Rain

映画館でチケットを買う際に、「アイ・カム…」と言葉を濁ししまったけれど、僕の後に並んでいたおばちゃまは何が悪いのと云うように、「アイ・カム・何とか」と云っていた。

キムタク、ビョンホンの出る映画を原題のままで公開は配慮なさ過ぎと思うけど、今のご時世、タイトルの工夫などに金をかけるゆとりもないのか、「アイ・カム・何とか」観てきました。(笑)

「怖くはない。俺は地獄を見てきた」と三人の傷ついた男たちの物語「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」はこの世の痛みをこの三人を通して描いている。

きらびやかな摩天楼が連なる香港は男たちの孤独を際だたせ、グロテスクなまでにその痛みを映し出す。

ジョシュ・ハートネットが殺人鬼に脇の下を噛みつかれる場面、イ・ビョンホンがしくじった部下に袋を被せ、ハンマーで殴りつける場面、木村拓哉の顔にウジ虫がはい回る場面、グロテスクさは映されるほどに痛みとなる。

ベトナム出身のトラン・アン・ユン監督の映画は始めて観たけれども、その画面作り、音の使い方に不思議な魅力を感じてしまった。

現代はやはりこのような孤独が描かれる時代なのかなと、下手な救いなど求めないノワール的なニヒルさを通り越してしまった映像に想いは馳せる。

2009-06-26

公務員は浪費がお好き The civil servant likes waste.

毎度ながらのお役所からの激しく愛されている私。貴重な週一の休みを裂いて、障害者就労支援の利用者負担額の階層再設定とかいう、働いているのに就労支援を使うと「利用者負担額」を判定して貰わなければならないと云う摩訶不思議な年一の申告をしに出向いて参りました。

送られてきた書類は本人記入分と職場に記入して貰う分との区別を明確にしない書類が何枚か同封されており、制度改正による手続きもあるようで、じっくり読んでも非情に判りにくい内容の書類で、判らないから職場に持っていくと、他の区から通っている障害を持つ人の中には、この書類自体送られてこないところもあるようで、職場の上司も困惑気味。

これを申請手続きする事で、「利用者負担額」なるものが軽減されるらしいのだけれども、書類の中には世帯の所得状況を調べる事を許可する書類も添えられており、なんでこんな面倒でややっこしい手続きをしなければならないのか、判然とせず、郵送でもよいと記されていたけど、何度もやりとりをしたくないので、休みの今日、出向いた次第。

区役所の保険福祉課の窓口に行くと、先客で受付窓口は全部ふさがっていたものの、この書類をどの窓口に出せばいいのかも判らず、受付窓口の奥の方で、デスクワークしている職員を見回しても、特別机にかぶりついているわけでもないのに、みんな知らん顔の態度。ポットのお湯が無くなり、それを継ぎ足しにいく女子職員もちらりこちらを見るものの、ポットの方が先決とばかりに通り過ぎていく。

やっと受付窓口のひとつが空いたので、聴いてみると、そこは交通費助成で、担当は隣の窓口とか。忍の一字で、待ち続け、やっと順番が来たので、この書類は判りにくい、他の区でこの書類を受け取っていない人がいるなどクレームしたもののマニュアル通りのお答えマシーンに窓口担当の女性はなるばかり。他でも働いている話をすると「こりゃ大変」といわんがばかりに担当の職員に聴きに行き、その職員様の窓口デビュー。

年金収入の有無と他の職場の源泉徴収、そして、雇用保険が天引きされている事を発見し、事業所からの源泉徴収もコピーが欲しいとのたまうた。そして、近くのデスクに行き、切手が貼られた封筒を寄こして、「これで送ってくれれば、僕のところに着くから」と笑顔で応対してくれた。

封筒には「厳封」介護保険、主治医意見書在中と書かれてある。

この切手も税金なんだろうなぁとふと思いはするものの、この国は民間活力を支援する以前に役所がお金の配分を握っている役人天国のお国柄。

障害者就労支援とて、介護福祉同様、支援するサポーターにお金が入り、助けを求める障害者、高齢者は利用料を払わなければいけない仕組みらしい。

今年はこの後、年金受給の生存証明でお役所参りが必要のようで、激しく愛される身も辛いものがあるけれど、未だに「お代官様、お恵みを」をよしとする国にいる以上、「この身体、好きにして!」とご奉仕しなきゃならないのだろう。

嬉しいような、悲しいような。

2009-06-25

札幌ゴミ戦争 Sapporo Garbage war

札幌市のゴミ有料化まで後1週間。札幌の街中のゴミステーションは無料駆け込みの多量のゴミが出されている。

従来と来月からの制度の変更が混乱を招いているのか、燃えないゴミの日に、従来ならば大型ゴミ、来月からは指定の袋に収まれば、燃えないゴミとなる「ビデオデッキ」が出されていたり、燃えるゴミの日に、従来ならば燃えないゴミ、来月からは燃えるゴミとなる「革製品」や「プラスチック製品」が出されていたりしている。

便乗投棄なのか、分別の大幅な変更からの混乱なのか、テレビのニュースでもこの件は取り上げられ、昨夜もゴミ回収車からのスプレー缶爆発のニュースも流されていたし、数週間前には回収作業員の方が事故に巻き込まれ、亡くなるニュースもあった。

自分の部屋も整理しなきゃと思いつつ、忙しさで散らかり放題になった状態からいらない物をより分ける作業をこの残り少ない無料のうちにと、ゴミを出す日の朝に大慌てで行い、貧乏性で捨てるに捨てられなかった物を思い切って、ゴミとして捨てたりしている。

半年前から整理使用しようと思いつつ、切羽詰まらないとなかなか出来ない。そんな時によーく考えなきゃ判らないような制度改正を行うと、パニックになるはいけないというのは「絵に描いた餅」だろう。

人を知らなきゃならないから、行政は大変なのに、それをわきまえないで、モラルのごり押しをするからおかしな事になる。行政マンが聖職の意識をなくすから社会もどんどんおかしくなっていくのかなと思ったりする。

札幌ゴミ戦争は第一段階をまもなく終える。

2009-06-24

縁は異なもの、味なもの The edge is unpredictable, and interesting.

50歳という歳だからだろうか、この頃、昔縁があった方達とどこ彼処かでばったり出逢う。

時折会う中学の同級生や自主上映の活動をしていた頃の友人、通っていたスポーツ・ジムのインストラクターさんなどなど。

昨日は高校時代の同級の女の子とすれ違い、向こうから「こんにちは」と声をかけられ、こちらも思わず声が出かかるものの、そのまま何もなくすれ違った。

「あれ、名前なんて云ったかな」とずっと気になり、帰宅後、卒業アルバムを開き、「そうそう、Oさんだ!」と30数年前を思い出し、今の彼女と照らし合わせ、歳を取っても面影残る事に嬉しさを感じたりする。

「縁は異なもの、味なもの」縁とは予測がつかなく、面白いものということわざが思い返され、ただすれ違うだけでも、自分の生きてきた軌跡を振り返られるそんな面白さを感じる。

いつも会うと、飲みに誘う中学時代の友に「歳だから」とその誘いを断り、「歳だから」って便利な言葉だなぁと悪態をつける、そんな関係を持てるのも昔ながらの知り合いの縁なればこそ。

今日は誰に巡り会うかな。歳を取り、振り返られる想い出がある事こそ、「縁は異なもの、味なもの」

2009-06-22

見張り塔からずっと It sees from the guard tower for a long time.

文庫本のあとがきで重松清は「哨兵は悲しい」として、「異常なし」の一日のために彼の一日が浪費される哨兵の悲しさを書き、「異常あり」だったとしても「異常あり」を告げるだけしか出来ない彼の存在を書く。ただ、彼は「異常」の有無を見張るだけの存在で、彼の目に映る「異常」も社会にとって「異常なし」ならば、「異常あり」にはなり得ない。物書きとはそんな無力な存在であり、「異常なし」とされる「異常」を書き綴る存在アピールしか持ち得ないのではとそんなふうを書く。

重松清の最初の短編集「見張り塔からずっと」に描かれる3編の話はそんな「異常なし」とされる「異常」の話。

バブル崩壊とともに発展の望みを絶たれ、憂鬱なムードの漂うニュータウンに暮らす一家、そのご近所に、自分たちより格安でマイホームを手に入れた家族が越してきた。奥さんの些細なひと言が噂話となり、値下がり続けるマイホームの夢が絶たれたニュータウンの住人たちはその家族をスケープゴートし始める。「カラス」はその鳴き声が「クレェ」と聞こえると語られるカラスをシンボリティックにした小市民社会の物語。

一歳になったばかりの男の子を突然失った夫婦の隣室に、亡くした子と同じ頃に生まれた今年5歳になる男の子のいる家族が越してきた。名前も亡くなった子と同じ男の子は狭いマンションの廊下でサッカーボールでひとり遊び、夫婦の部屋の壁にボールを叩きつける。子供を亡くした時から精神状態が不安定だった妻を支え続けている夫もやがてバランスを崩していく。「扉を開けて」は恐怖小説、ホラー小説として書き下ろされたものらしい。

18歳で出来ちゃった結婚をした女の子は自分の未熟さから来る嫌悪感から逃れるために、自分を物語の主人公に見立てて、傍観し続け、声援を送る女の子。祝福されない結婚生活で、頼みの夫は母独り子独りのマザコン気味で、田舎に暮らす母を呼び寄せ、一緒に暮らす事ばかり夢見ている。母もまた、我が子可愛さで、未熟な女の子が気に入らない。そんな母がガンで吐血し、入院する。その母の記憶の中には嫁である女の子の存在は無くなっていた。「陽だまりの猫」はその女の子の語り口で物語られていく。

「異常なし」とされる「異常」な物語は、孤独に堪え、堪えきれなくなる人々の物語。親身になる事も出来ないし、見殺しにもしたくない。そんな社会なのだと見るしか術のないお話群はその後の重松清の物語の原点に位置するのだろう。

2009-06-21

ピース・オン・ウィールズ <生きる> Peace on wheels

「この映画を上映したい」と同じ職場で働く脳性麻痺の友だちから聴かされたのは、今年年明け、僕よりも障害程度が重い彼が正月にひとりで沖縄の伊江島にある土の宿に泊まりに行き、帰ってきた時の事。

出来るなら、この宿の女将であり、この映画の主人公である木村浩子さんを札幌に呼んで、話を聴く場にしたい。彼はそう話し、かつて自主上映をした事がある僕に協力を求め、僕は非力ながらもアドバイスをした。

自主上映は企画するのは簡単だけど、上映会にこぎ着けるまでは多くの人の協力を仰がなければならない。どうにかいい形になるように僕はいろいろ案じもし、彼もまたその交流範囲の広さから最もいい形を模索していたようにも思う。

その映画「ピース・オン・ウィールズ <生きる>」は満州で生まれ、脳性麻痺という身体で、戦争を体験し、施設を拒み、自分らしく生きたいと願い続けた木村浩子さんの半生のドキュメントであり、障害を持った者たちが泊まれる宿がないと断られた事から始まる「土の宿」の成り立ちの話であり、戦時中、障害者は足手まといだからと軍から青酸カリを手渡された母がかくまってくれた事から思い馳せる反戦平和のドキュメント。

小一時間のこの映画を、障害あるなし関係なく共に働くを主眼とするうちの職場の上司が「映画上映会なんて自主的にしてみたら」と声かけて貰った事から、とりあえず賛同者を募る意味からも試写会をしてみようと、先日職場の一室で、パソコンにプロジェクターを繋ぎ、壁にタオルケットでスクリーンを作って、上映会をやってみた。

思いの外、多くの職場の仲間が集まってくれて、試写会は盛況のうちに終わり、次のステップにどう行くかがこれからの課題。

映画を観ながら、木村浩子さんに彼はどんな魅力を抱き、ひとり沖縄まで会いに行き、この映画を上映し、木村浩子さんを呼びたいと思ったのか、気に掛かる。

それは単にひとつの映画というものを乗り越えた<絆>なのかも知れないし、その協力を求められた僕への<絆>なのかも知れない。

映画の中、奏でられた不思議な音色を出す楽器の演奏のビデオクリップを見つけた。草の根で、こんな上映会が催されている事を知る。出逢い積み重ね、どう形にするか、決めるのはやはり自分たちなのだろう。

2009-06-20

ウェディング・ベルを鳴らせ! Promise me this/ZAVET

便利さや なくして判る 依存中毒

PHSもジムの方の車の中でお眠りしていたという知らせが入り、今日、ご帰宅予定で、一安心であると同時に、その依存度合いを実感する数日。

人間、偉そうに云ったって、みんな猥雑で、お下劣で、スケベだよ、と人間たちのバイタリティが描かれる、母国セルビアを舞台にしたエミール・クストリッツァ監督の新作『ウェディング・ベルを鳴らせ!』を観に行ってきた。

この映画に出てくる人間は誰ひとりとしてお澄まし顔などするものはなく、感情のままに動き、感情のままにぶつかり合う。お澄まし顔をする時はそれは人を騙す時。

セルビアにツイン・タワーの世界貿易センターを作ろうとする悪玉がいるかと思えば、田舎に住む祖父ちゃんは恋敵のおじさんのラブ・アタックに日々を費やし、余念がない。

みんなが自分の大切なものを守る事に余念がない世界をパワフルに、スラップスティックに描き出す。

初めは孫のために作り出したウェディング・ベルもいつしか自分のために変わり、生きる希望が生まれてくるシークエンスなんて、人が人を好きになる素晴らしさを描ききっている。ここでは機械はあくまで道具である。

東欧のジプシー、クレツマー・ミュージックのにぎやかだけど、哀愁に満ちたメロディにのって、ヨーロッパの果てに住む人たちからの人間くささを教えられる。

便利とは 人と繋がる 道具なり

アニマル・セックスし、犯し終えたら、打ち殺す。そんな変態も映画には出て来ていたなぁ。

2009-06-18

捜索願 PHS Missing

数年前に通っていたスポーツ・ジムの人から電話があり、昨日、仕事後に会ったのだけれども、その時、自分のPHSをどこかに落としたみたい。

車で街まで送ってもらい、別れた後に行きつけの定食屋で紛失したのに気がついた。

昨年の今頃もやはり落としており、この時期、羽織っているベスト・ジャケットのポケットが浅く、それが落とす原因と判っていたのに、またやってしまった。

昨年は帰りの地下鉄で落としたらしく、警察に届けられ、取りに出かけたのだけど、今回はおそらく久しぶりに会ったジムの人の車の中に落としたみたい。

連絡すればすぐ判りそうなものだけど、向こうからかかってきた携帯の番号は落としたPHSに着信履歴としてあるだけでメモっていなかったので、連絡の取りようがない。相手からも連絡はない。うちの自宅の電話番号を忘れたのか、それとも落ちているPHSに気がつかないのか。はたまた、別なところで落としたのか。

念のため、帰宅後、PHSへの転送メールを止めて、電話機もリモートロックはかけはしたけれど、僕のPHSは今、何をしているのだろう?

ウィルコム位置検索サービスなる便利ツールがあるのは知っていたけど、落とすの前提で契約し、月々利用料を払うのも莫迦らしいけど、こんな時はつい資料請求したくなる。位置検索が出来たとしても、バッテリー切れなら、機能しないのは判っているけど。

便利だけど不便な世の中、ポケット一杯はやはり不幸なのかも。

僕のPHSの帰りを祈り。

2009-06-17

ビデオ処分 Video disposal

来月の札幌市のゴミ有料化を前に、整理しなくてはと思っていた録画済みビデオテープの整理をし始め、とりあえず50本ほど整理し、燃えないゴミの日の今日、ゴミとして出した。

ハードデスク付きのDVDレコーダーで、再度放送した際にDVDに保存出来たものとのだぶりや、取って置いても観そうにないものを処分し、再度放送をしてくれない貴重な映画などは一応投げずに取っておく事にした。

ビデオテープの録画リストは一応作ってあったから、それに照らし合わせて、整理したのだけれども、それでもどうしても判らなくなっているテープは再生確認し、分別をした。

ビデオテープを再生してみるとトラッキングが狂っていたり、画質の劣化など見劣りする点は数多いけど、今なお、DVDソフト化もされていないものもあり、手元にあるものはある意味貴重な資料になっている。

全部観るかどうかという問題ではなく、観たい時に見られる環境にあるかであり、この手の映像資料は国営の組織しかなく、フィルムライブラリーも東京にしかない日本では、各自がストックするしか術がない現状でもあるのだし。

今、話題の国税を使っての「国立メディア芸術総合センター」(仮称)なども必要、不必要の単純な論議なのじゃなく、国がやらなきゃならない事業かどうかだと思うのだけど、文化意識が恐ろしいほどに存在しない日本では、民間が国の補助金で文化のアーカイブを作る発想がないからこんなバカな議論しかできないのだろう。

ブラジルでは自国の文化遺産の保護に努める活動に対し、補助金を出す制度があり、また、大きなコンサートホールを一般に無料開放する事業もあるといい、さすがは音楽を初めとする文化輸出国といわれるだけのことはある。

片や日本は、例えば島倉千代子のディスコグラフィは録音データなど仔細な資料は録音発売した企業すらデータが残されていなく、ディスコグラフィを作るには一般のコレクターのコレクション資料が頼りという情けない実情も読んだことがある。

「映画泥棒云々」のCMが映画館に行くたび、見せられるけれども、誰が「映画泥棒云々」なのかといつも思ってしまう。

DVDのレンタル化がされないどころか、正規版のDVDも発売されない名作をコンスタントに放映するNHK-BS2で、今後の放映予定を調べていると、今月末はノーマン・ジュイソン監督「ジーザス・クライスト・スーパースター」デビッド・スウィフト監督「努力しないで出世する方法」フィリップ・ド・ブロカ監督「まぼろしの市街戦」などの他、正規にDVD化されていないのが信じられないジョージ・スティーヴンス監督「シェーン」も放映される。

資格を取るとレンタルビデオ屋の店員になれると冷やかされている映画検定に出てこなければおかしいこの名作群が手軽にDVDで見られない実情がどんなにおかしな社会なのかと思うのだけど、バカの壁は箱もの予算や高額BOX商品の販売にばかり力を入れて、おバカ社会を作ろうとしているのだろう。

来月7月から変わる札幌市のゴミ回収の分別分類で、今まで大型ゴミとして高い回収料金を取っていた物が指定の燃えないゴミの袋に入るならば燃えないゴミになるというような変わりようや燃えないゴミのビデオテープがなぜか燃えるゴミになるという摩訶不思議さは凡人には理解できないけれども。

2009-06-16

蝦夷梅雨 Ezo rainy season

今年も「北海道神宮祭は悪天」のジンクス通り、肌寒い天気になった。天気予報の天気図を見るとどっしりと悪名高きオホーツク高気圧が居座っている。

真夏の暑い時に居座ってくれれば、猛暑にならずに北海道らしい湿り気のないすがすがしい暑さをもたらすのだけれども、春に居座られると、梅雨がないといわれる北海道でも「蝦夷梅雨」と呼ばれる、晴れるのか、雨なのかもはっきりしない日本の政治のようなぐずつき模様がしばらく続く。

今年は特にその傾向がひどく、昼間晴れて暑くなっても、風が冷たく、夜になると気温が一気に10度近く下がる気候不順で、日本の経済状況を映し出しているようで嫌な気分。

僕も含め、過労からなのか、気候不順からなのか、風邪ひき、咳込みさんもどこにいってもよく見かけ、新型インフルの影響もあり、昔、未来予想のマンガなどでよく見られたマスク人間もどんどん増え、職場そばの食料品売り場では店員全員マスク人間という異常光景が広がる。

毎年、家庭菜園をする母もこの悪天でその気になれないようで、畑も土おこしをした状態で止まっており、「今年は農家も苗が育たなくて、大変だ」とよく話す。

週末の職場の同僚は「あと二、三ヶ月もしたら、秋風か」と短い北海道の夏が来るのか、不安とも、愚痴ともつかない事をぼやきもする。これとて、不況風で地元企業の倒産が相次ぐ昨今を映し出しているのだろうか。

ばらまき金の雀の涙「定額給付金」と赤字、赤字と叫んでいるのに、例年並の「ボーナス支給」を確保してくれる国の関連団体の恩恵を受け、危機意識がうまく作用できない国家運営が長引く蝦夷梅雨が晴れることなく、冬支度になるかもしれないそんな時、貰うものはしっかり貰い、支払先を減らすべく、生活算段立てようと。

祭り囃子に騙されないように。

2009-06-13

四十回のまばたき forty winks

季節性感情障害の女の子を取り上げた重松清の初期の小説「四十回のまばたき」。重松清らしく、そういう女の子というだけで、偏見も同情もない描かれ方は、デビュー作「ビフォア・ラン」に出てくるノイローゼになりいなくなり、また戻ってきた女の子の描き方に似ていると思った。

ビフォア・ラン」はその女の子を自分たちの「トラウマ」にしようとした男の子たちが、戻ってきた女の子の幻想に振り回される物語を80年代の高校生として描いたものだったけど、「四十回のまばたき」は冬になると結婚している姉の家に「冬眠」しに来る季節性感情障害の女の子を面倒見る「ぼく」が妻である姉に急に死なれた年もその子が「冬眠」しに来るという、不思議なシュチュエーションを持つ物語。

「ぼく」は翻訳家で、感情の起伏が乏しく、女の子は誰彼なく寝てしまう性分で、その冬は身ごもった身体で、「ぼく」の前に現れる。感情の起伏が乏しい「ぼく」は先立たれた妻が「男」と逢い、その帰りに交通事故で死んだ事をこだわりながらも、うまく感情表現出来ないでいて、どこか心の支えを義妹である女の子に求めてしまう。

そんな疑似家族の居場所捜しのような小説で、翻訳した小説の「作家」の来訪でなんとなく「居場所」らしきものが見えてくる寓話であった。

「四十回のまばたき」小説のタイトルとなったアメリカの口語英語で「うたた寝」を意味する文句を「作家」はこう説明する。

<うたた寝すれば、目覚めた時には、たいがいの悲しみや後悔は多少なりとも薄れてくれるもんだ。一晩寝れば、パーフェクトだな。ってことは、悲しむ事すら出来ないくらい深い悲しみだって、一冬ぐっすり眠れば春にはお釣りが来るんだぜ。>

寝る間も惜しむ現代は、眠らないだけ悲しみや後悔が心の奥底に積もり積もっているのかも知れない。

小説の中で、暑くはなく寒さで記憶力が整理されやすい冬の後に受験シーズンはあるらしいという話がされるけれども、人は本来、四季の移ろいの中、感情を任せていたのかも知れない。日の光の多い夏、紅葉始まる秋、雪景色の冬、そして、花芽吹く春。その頃に五月病というポピュラーな病気もある位なのだから。

一時間やって、30分休みの小学校の授業は人間の基本サイクルだという話を聴いた事もあり、寝る間も惜しむ「時間泥棒」が「季節性感情障害」という病名を作り出したのかも知れない。

人が繋がっていられるのは「四十回のまばたき」があるからなのかも知れない。

2009-06-12

ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちた Buddha Collapsed Out of Shame

映画『子供の情景』は原題訳「ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちた」の方がふさわしい。

演じるのはアフガンの破壊された世界遺産「バーミアン遺跡」の傍に暮らす子供たちだけど、別に子供じゃなくてもかまわないし、「バーミアン遺跡」の傍である必要もない。

今世紀の始まり、アフガン紛争の時、タリバン政権が偶像崇拝禁止を理由に、古来シルクロードの交易の地として栄え、今なお昔の栄華を伝えていた高さ55メートルの西大仏、同じく38メートルの東大仏が破壊された場所であるから、子供らはタリバンごっこに興じ、逆らえない女の子たちを捕まえ、拉致する。

さながら日本だと、リストラ盛んな会社で、なんとかリストラを逃れ、勤める親の子供たちが、ゲームさながらに、逆らえそうにない弱い奴をいじめるようなもので、アフガンだからという風に見ると、どこ吹く風の「あーら、大変ねぇ」になってしまう。

貧困にあえぐアフガンではまともに勉学を受けられない子供たちがいて、大人の影響でタリバンごっこの殺し合いの遊びに興じるけれども、裕福極める日本では、マルチメディアで暴力が教えられる。

文字を読めない女の子は本に描かれたイラストを声にし、隣の男の子に本に書かれている事を教えられ、本を読めるようになりたいと願うけれども、今の日本ではネットのページも文章よりもイラスト重視の作りが好まれ、ゲームなどでも書かれている文字がろくに読めなくてもゲームが楽しめるよう配慮されているから、この映画の女の子のような向学心に目覚める話はあまり聴かない。

マルチメディアという空爆を浴び続ける日本の若者と、本物の空爆を浴び続け、人を憎む事しか教えられないアフガンの子供たち。

「ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちた」とはもしかすると現代社会をシンボリックに描いた寓話なのかも知れない。ラスト、逃げまどう女の子にどうする事も出来ない男の子が叫ぶひと言は辛く重い。

子供は大人の鏡なのだから。


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2009-06-11

ソーラン節 Solon Bushi

ホッペに鼻が埋まったY議員の祟りなのか、チルドレンのあまされっ子の恨みなのか、悪天候に恵まれた今年のヨサコイも始まったようで、街中や地下鉄の中はヨサコイ・キッズが闊歩している。

ヨサコイ自体はほとんど興味ないけれど、そのネタ元になった沖合労働歌「ソーラン節」は好きで好きでたまらない。朝明けやらぬ暗い海に出漁に向かう漁師たちが互いに眠気や疲労を吹き飛ばすために気合いを入れて歌った歌は、息合わせなければ、櫓を漕いでも船は進まない自然の摂理を知り尽くした者たちの歌。

「ヤーレンソーラン、ソーラン、ソーラン
沖のかもめに潮時聞けば
わたしゃ発つ鳥、波に聞けよい」

先日の岡林信康のコンサートでもヨサコイソーランチームの踊りと共に繰り広げられた「御歌囃子ソーラン」の合間、本家「ソーラン節」も尺八、津軽三味線が奏でられ、歌われ、わがソウルをかき乱しもした記憶が真新しい。

「御歌囃子ソーラン」の映像がないか探してみたけど、見あたらなく、民謡の大家、伊藤多喜雄のソウルフルな「ソーラン節」、寺内タケシのエレキロックによる「ソーラン節」、そして、そんなのを観ていて、始めて知った金八先生の「ソーラン節」とパワフルなものを並べてみた。

欲長けた主催者とは無縁に、自費で集まり、この一時を謳歌しようするヨサコイ・キッズの踊りが今年もまた始まる。

街中をすれ違うヨサコイ・キッズたちの声の掛け合いを通りすがりに見ていると、互いに励ます労働歌の原点を垣間見る。

「踊り子さんには手を触れないように」岡林信康はコンサートでこうアナウンスしていたけれど、祭りに向かう若者たちの姿は美しすぎる。

2009-06-10

張紙をはがさないで下さい Please do not peel off the sticker.

とある札幌市内の区民センターの男子トイレ。

以前から立ち寄るたびにここは日本なのかと思うほど凄い光景だなぁと思うのだけど、ここまで来るとシュールとしか云いようがないんじゃないかな。

公共意識の欠如は薄汚れた社会を作るのだろうね。


トイレットペーパーの盗難が続発しています。


ここで洗濯しないで下さい。


「禁煙」の張紙の横に「張紙をはがさないで下さい」の張紙

2009-06-08

今日をこえて Today is exceeded.

慌ただしかった5月の行事もその総まとめ、ふたつの予定もこなし終え、ようやく一段落といったところ。

気楽になったせいなのか、身体の疲れも気力が負けない程度に回復しつつある。

問題は山積みだけど、一人でやきもきしても何も解決しないだろうし、まずはやり終えたことに満足したい。

「くよくよするのはもうやめさ
今日はきのうを越えている
きのうに聞くのももうやめさ
今日を越えた明日がある」

岡林信康「今日をこえて」の歌詞を思い浮かべ、そんな事を思う時。

朝、通勤途中の地下鉄の中、遠足だろうか、引率の先生に連れられた子供たちが、降りる駅に、地下鉄が止まると、目の前のエレベーターを見つけ、声を揃えて叫び出す。

「エレベーター、エレベーター」

引率の先生は「駄目!」と叫ぶと、子供たち、扉が開くと階段に向かって走り出す。

「こら、走るなぁ」と先生も走り出す、そんな光景を見つつ、「遊びの天才」たちは理屈抜きに「今日を越えている」。

2009-06-05

我が至上の愛 アストレとセラドン Les Amours d'Astree et de Celadon

何も観たいものがないなぁと劇場の上映作品一覧をチェックしていて、今週終映の作品「我が至上の愛 アストレとセラドン」がエリック・ロメールの作品である事を知り、見逃してはいけないと劇場に向かった。

「六つの教訓話」シリーズ、「喜劇と格言劇」シリーズ、「四季の物語」シリーズと現代を舞台にし、誰もが経験あるような物語をさらりと描き出していたエリック・ロメールが曰く「この映画の後、現役を引退するつもりだ」と語ったという「我が至上の愛 アストレとセラドン」は17世紀にオノレ・デュルフェよって書かれた『アストレ』が原作で、この物語は大河ロマン小説の原点とも言われているらしい。

5世紀のガリア地方。現代のフランス中央部ロワール地方を舞台としつつも、映画は都市化開発のため、のどかな田園風景が失われてしまったがために、田園風景が残る別地方で撮られた事を最初に断り、始まる。

些細な誤解から、恋人セラドンの不実を責め、「私の前にもう二度と現れないで欲しい」と拒絶するアストレに対し、その言葉に死までも思い詰めるセラドンは死に損ねてもなお、アストレの許しの時が来るまで、アストレを慕いつつも、人里離れた森で暮らす。

「愛」とは何なのか、身をひくのが「愛」なのか、身の潔白を説得するのが「愛」なのか、エリック・ロメールは、5世紀ののどかな世界の中で、「愛」とは何なのかをユーモアとエロティシズムたっぷりに描いてみせる。

セラドンのアストレに対するひたむきさ、アストレのセラドンに対する詫びの気持ち。それはかつてエリック・ロメールが描き続けた現代のアストレとセラドンたちの原点だなぁと、映画を観、ほくそ笑む。

人は疑り深い生き物であり、疑る事で取り返しのつかない過ちを犯し、残酷な言葉を浴びせかけもする。その修復は一見滑稽なように見えるけれども、修復こそが人間のなせる技。

人間を信じるか、信じないかは、自分が誠実か、いい加減かであるだろうし、映画の中、肉欲しか信じない狂言役が演じるように、「愛」とは何なのかをエリック・ロメールは語っていた。

2009-06-04

エイジ age

重松清の「エイジ」を読み終えた。

中学生の事件が多発し、「中学生」にマスコミが群がり、「キレる」という言葉が流行った1990年代末に、「中学生」と一括りに括られる「中学生」たちの物語を描いたこの作品は、クラスメートがある日、「通り魔」として捕まる事により、それぞれが揺れ動く物語。

シンボライズする事であたかも物事のすべてが語れたかのような錯覚は、おそらくオウムのサリン事件あたりから「ブーム」となり、「キレる中学生」、「改革なくして成長なし」の小泉劇場、「9.11」から始まるテロ対策、イラク人質に対する自己責任論、凶悪犯罪死刑論と続くのだろう。

ここで描かれた「中学生」たちは時間軸から考えれば、今は20代半ば。「エイジ」の世界を頭に入れて、その20代半ばの人々を「キレた中学生」と呼ぶにはあまりに短絡であるだろう。

短絡なイメージが好かれるのは「人ごと」だけど、「怖い」であればいいのだろう。

一括りにされる側がどう生きているかなんかはどうでもいい事で、「うざい」のに、「中学生」が「うざい」を口にすれば「怖い」に変わるというとても重宝な「ブーム」を21世紀の人間たちは手に入れたのかも知れない。

「日本の出生率が少し上昇した。」と報じるメディアは夫婦二人で二人産めば、横ばいである出生率なのに、1.37人平均の出生率で「上昇した」と「人ごと」楽観論に誘い込むようなもので、「社会」すら「人ごと」のように聞こえてしまい、恐ろしい。

社会を思う保守右翼は理念だけで動く左翼より、世情に厳しいと何かの本で知ったけれども、今という「世代」は己の保身だけで動く保守右翼が増えているのだろう。

10年前に書かれた小説は舞台を今としても何の違和感もなく、あれほど騒いだマスコミは、今も「恐ろしい社会」とただ語るだけ。

「日本の出生率が少し上昇した。」も団塊世代がいなくなった時には、日本人のみの出生率ではなく、労働移民も含めた日本国籍者の出生率になるのじゃないだろうか。

その時がシンボライズの怖さなのかも知れない。

2009-06-03

日本の恥 Shame of Japan

友だちの家に遊びに行った帰り、汗を流しに銭湯に行き、サウナに入ると、先に来ていたおじさん二人、サウナ備え付けのテレビを観ていた。

テレビは間寛平のアメリカ・ロッキー山脈の旅行記のようなものをやっていたのだけれど、ひとりのおじさんが「日本の恥だなぁ」とのたまった。するともう一人のおじさんが「こんなの日本の恥じゃないよ」とつぶやくように喋った。「芸能人のする事は恥でも何でもない」そのおじさんは続けてこう喋った。

「日本の恥」といったおじさんは別に反論するわけでもなく、適当なところまでテレビを観、熱さよけの発泡スチロールの尻敷きを持ち、サウナを上がり、水風呂に入る音がした。

僕も適当なところでサウナから上がると水風呂の湯船の脇に発泡スチロールの尻敷きは放置されていた。

洗い場で身体を洗い、湯船につかり、風呂から上がる時、「こんなの日本の恥じゃないよ」とつぶやいたおじさんがサウナから出て来て、洗い場に雑然と放置された湯桶や丸椅子を片隅に片づけ、そのおじさんも風呂から上がった。

脱衣室で汗を乾かし、番台脇のテレビの前、長椅子が並ぶところに出てくると先ほどの「日本の恥」といいつつも、発泡スチロールの尻敷きを放置したおじさんがテレビで流される「世襲制限」を自民が次期衆院選は見送り 次々回適用で集約するというニュースに、「次も、次の次も同じだろう。国民をバカにするのもいい加減にしろ」と怒っているのか、冷やかしているのかよく判らない文句を云っていた。

「こんなの日本の恥じゃないよ」とつぶやき、人が放置した湯桶や丸椅子を片隅に片づけていたもうひとりのおじさんとこのおじさん、どっちが自民党のおじさんたちに似ているだろうと流れるテレビニュースを観、ニンマリしてしまった。

2009-06-01

深くこの世を旅したかいな Did you travel deeply around this world?

娘の旅立ちを歌った歌を歌う時、この娘が今は孫を産み、その孫を抱いていると語る岡林信康は、今回のコンサートでは弾き語りで、自分が昔に作った歌をいっぱい歌ってくれた。

無数の出逢いと無数の別れと無数の忘却。忘れ去れるものを歌い続けた人なんだなぁとその歌の数々を聴き、そう思う。

忘れ去られるものたちだから、見事華麗に咲き誇る。そんな感じが第二部に用意された和楽器演奏によるコラボレーション。

笛、太鼓、津軽三味線に、韓国、アフリカの打楽器が奏でられる中、岡林の歌は続く。

「俺たちがなくしたもの、草原に生きずいて」北海道の空に似ているというので歌われた「モンゴル草原」を聞く時、いつも郷愁が思い起こされるのは、そんな忘れ去れたものだからだろうか。

夫を亡くした高齢の女性が励まされたという「風詩」を聴いた時、そこに歌われる「深くこの世を旅したかいな」という歌詞が耳に残る。

「深くこの世を旅したかいな」どれだけ自分は自分の身の回りの「この世」を旅しているのだろうか。隣に座り、一緒に聴きに行った友達の顔をそれとなくのぞき込み、そんな事を思ったりする。