2009-04-30

主犯は肩凝り The principal offender is a stiff neck.

脳神経外科の検診の時に計った血圧の低さが気になり、その後も毎晩、銭湯にある血圧計で自分の血圧を記録してみた。

銭湯の測定器の使い方がよく判らずに適当に調べ始めたのだけど、銭湯で半身浴を続けた結果、値は改善されつつあったけど、めまい状態は改善されなかった。

  • 4月27日 脳神経外科測定 最高血圧 106mmHg 最低血圧 72mmHg
  • 4月27日 銭湯測定 最高血圧 103mmHg 最低血圧 54mmHg
  • 4月28日 銭湯測定 最高血圧 107mmHg 最低血圧 53mmHg
  • 4月29日 銭湯測定 最高血圧 108mmHg 最低血圧 68mmHg

変わらぬ体調にまさかと思いつつも、念のためと4月29日の帰りに湿布薬を買い、今日4月30日、出勤前に背中の凝る箇所に湿布薬を張り、出勤するけれども、行きの地下鉄ではやはりめまい感が残ったまま、けれども、職場に着き、凝った箇所に張った湿布薬が利いてきた後はそんなにめまい感はなくなっていた。

仕事帰り、いつものように銭湯から上がり、血圧を測定してみる。

  • 4月30日 銭湯測定 最高血圧 113mmHg 最低血圧 69mmHg

やはりめまいの主犯は肩凝りにあったのかも知れない。

20代くらいだろうか、やはり肩凝り主犯で、頭痛が起こり、熱が下がらない状態になり、風邪かなと思っていたところ、肩凝りだったという事もあり、僕にとっては肩凝りは万病の元のようらしい。

小学生の頃、脳性麻痺による不随運動が身体の凝りに悩む僕を見かねて、近所の整骨院の先生がただで身体をほぐしてやると云ってくれた時も結局、寝ている間も不随運動で凝り固まる身体をほぐす事は出来ず、整骨院の先生もギブアップしたほどの身体。

幼い頃に生まれ故郷の温泉に入った時から風呂が自分にとって、一番リラックス出来るところという潜在観念があり、人の揉み癖のつくマッサージより入浴療法があっているように思うのだけど、ほぐれていない凝った身体には、逆に鬱血を引き起こし、今回のようなめまいを引き起こすのだろう。

やっかいな自分の身体、主犯は肩凝りらしいと判ったけれども、めまいの再発が起きればまた別な要因があるのかも知れない。

ゴールデンウィークは自分の身体とじっくり付き合う事になりそうだけど、主犯らしきものが見えてきたので一安心といったところ。

2009-04-29

スラムドッグ$ミリオネア Slumdog Millionaire

イギリス人監督ダニー・ボイルによるインドの現役外交官ヴィカス・スワラップの小説「ぼくと1ルピーの神様」の映画化作品『スラムドッグ$ミリオネア』。

インドを舞台とした映画が何故、アカデミィ作品賞なのか、それが気になり、観に行った。

BRICと呼ばれる経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) の中の一国、インドも経済発展したが故にスラム街は過酷な経済格差の中に押し込まれ、はい上がろうとする者たちによって、スラムの子供たちはその生け贄となっている。

クイズ番組「ミリオネア」と平行して、語られていく回答者の少年の過去は時には目を覆いたくなる場面が映し出され、それでも生き抜いた少年の顔に戻る。

ダニー・ボイル監督のフィルム編集は過去と現在、スラムの暴力とテレビの暴力を巧みにつなぎ合わせて見せるけれども、インドを撮った外国映画という感じがし、違和感はぬぐえなかった。

インド・スラムのバイタリティがどこか現実逃避に感じられ、例えばイギリスの在英インド人街のバングラ・ビートのバイタリティを映画化してくれれば、もっとリアルに興奮出来たのかも知れない。

過酷すぎる現実がある故に、その国を植民地化していたイギリス人が単純に憧憬を持ち、それをアカデミィ賞他映画祭で賞を総なめしてしまう事がなんか免罪符なような気がしてならなかった。

ラストシーンのインド映画讃歌ともいえるダンスシーンはスラム問題を抱えるBRIC諸国の今後の底力と期待するには早計なのかも知れないけれど。

2009-04-28

フィッシャー・キング The Fisher King

MRI、X線で自分の頭蓋骨と久々の再会をし、担当医師から特に異常は見られないとの診断結果を貰いました。連休明けにまだ身体のふらつきが残っていたなら、また来て下さい。といわれ、自分の頭蓋骨写真を見返すとなんか髑髏の笑いを思い出してしまった。

以前、かかりつけの病院でMRI、X線撮影をした後、自分の頭蓋骨の中にある脳の一部が黒く映るところがあって、そこは死んだ細胞のあるところ、自分が生まれた時に死んだその細胞のまわりは死んだその細胞の機能を補うべく、活きているという。けれど、その細胞しかできない機能は回復されることなく、自分の身体の障害となり、今も右手にそれは残っている。

精密機器はあくまでも結果しか写さないし、異変が起きた時はそれ以前の映像と見比べなければ、本来正確な診断は下せない。

昨日の診断結果は要注意のまま終わったけれども、診断の前に調べた血圧測定が低血圧気味を示しており、定期検診の時は少し高めといわれた血圧が下がっている事がもしかすると身体ふらつきの原因なのかも知れないと思う。

どんなに精密な機材を使ったとしても身体の疲労は計れないし、心的外傷も見抜けない。

都会で傷ついた男二人のメルヘン・ストーリー『フィッシャー・キング』を何となく観たくなった。星空の下、全裸になるのはまだ寒いだろうけれども。

2009-04-27

草なぎ君になれるまで possible to become Mr. Kusanagi

うちの職場のアルバイトの若者たちも新年度に入り、平成キッズの新人たちを仲間に加え、昨夜は新人歓迎会が行われたようである。

「草なぎ君になれるまで飲もうよ」

グッドタイミングのSMAP 草なぎの全裸酔い潰れ騒動をネタにした昭和末期のバブルを知らない格差フリーターのお兄ちゃんたちが平成キッズの新人たちに新歓の声かけをする時のセリフがまたイカしていた。

今年の平成キッズははっきり物言うやんちゃ坊主からおとなしめのイケメン君まで多種多様だけど、「やっぱりアルバイト辞める」の初回脱落組は誰もいなく、人なつこいのが多く、いけないお兄ちゃんたちとの飲み会初体験はさぞ盛り上がった事だろう。

歴代続くうちの職場のアルバイトの新歓行事も全裸脱ぎ系の一発芸から寝ゲロ、歩きゲロに至るまで羞恥心を乗り越えて、職場仲間の意識が生まれる伝統はわが若かりし頃からの変わらぬ行事。

SMAP 草なぎのように羽目を外しそうで、羽目を外しかけた連中をかばい合う。それが出来ないようなら人間なんて辞めちまえ。

そう云いながらも、ここしばらくは若者たちの宴会にはご無沙汰していいるけど、昨夜もSMAP 草なぎでもないから警察、救急車を巻き込んだとしても一文にもならないこの連中。マスコミをにぎわす事も相成るまい。

愛おしい格差社会の申し子たちをまた一年見守るためにも、立ちくらみ気味のこの身体、まずは検査を受けに出かけよう。

「倒れたら、俺がタンカー持ちますよ」

心より心配してくれるこの子等にまた、そういわれないためにも。(笑)

2009-04-26

誰のせいでもない雨が rain not bad falls.

先日の立ちくらみからどうも体調がすっきりしない。

職場の馴染みのお客に話すと、「病院へ行こう!」といわれるし、伯父、叔母みんな脳梗塞を起こしている家系でもあるから念のためと思い、大きな脳神経外科病院で理容室を営んでいる幼なじみのところに病院の先生を紹介して貰うべく、仕事帰りに出向いてみた。

こころよく引き受けてくれ、その先生のところに電話をかけてくれ、月曜日に検査する手はずを取ってくれたその友はゴールデン・ウィークに高校の同窓生が集まる飲み会の声かけに電話を回す。

立ちくらみの継続のような具合の悪さも多分日頃の疲れからだと思うけど、前々から感じていた身体の異常をこれを機に病院で相談してみようかなとも思う。

天気は予報ほどひどくはなっていないけど、日曜の朝、窓の外は季節はずれの小雪が舞っている。

中島みゆきの「誰のせいでもない雨が」を聴きたくなり、YouTubeを検索してみる。

「月日すべての哀しみを癒せ」の歌詞が心に染みる。

2009-04-25

いのちの戦場 アルジェリア1959 L'ennemi Intime

シェルブールの雨傘』のバックグランドとなったアルジェリア戦争はフランス国内では1999年10月の法改正による「フランスの植民地支配を肯定する法律とその第4条第2項の廃止について(PDF-国立国会図書館資料)」まで「戦争」ではなく、「内紛」と認識されていたという。

「アメリカがベトナムを描いたように、フランスもアルジェリアを描かねばならない」と映画『いのちの戦場 アルジェリア1959』を企画立案、主演したブノワ・マジメルが語るように、この映画はフランス人が植民地支配で何をやったのかが赤裸々に描かれている。

「戦争」ではなく、「内紛」とする事により、過酷な拷問を行い、国際法上使用を禁じられナパーム弾でゲリラを大地もろとも焼き払う事を正当化するこの戦いは、フランスのいう「テロとの戦い」でもあった。

テロリストたちの側から描かれたレジスタンス映画『アルジェの戦い』でその「戦い」はすでに描き尽くされているけれども、支配者側の欺瞞を描いたものは50年の月日を必要とした。

理想主義のテリアン中尉(ブノワ・マジメル)は赴任直後、分別くさくこの紛争を分析し、長くこの戦地に赴任し続けているドニャック軍曹の残虐な拷問を倫理的に批判する。

しかし、いのちの戦場であるこの地では、殺されるか、殺すかの選択肢しかないという当たり前の理屈にテリアン中尉の理想主義は合理主義に変貌していく。

あまりにまじめすぎるがために、現実社会と理想とのギャップが判らない指揮官は現実に殺されていく。

映画では、第二次大戦の時、ドイツ・ゲシュタポと共に戦ったフランス人とアルジェリア人が、敵味方にならねばならない状況も描かれ、ファシズム打倒で正当化されていた植民地政策が民族独立の気運とともにその非情ぶりを示し始めた事も描かれており、それは冷戦終結後の「9.11」にも結びつくであろう。

自分の国が一時は同胞としていた他民族に何をやったのか、こうして描く事の出来るのは凄いと思うし、それはけして自虐などではなく、多民族化しようとしている「国家」のあり方を知ろうとする試みのように思う。

2009-04-24

オーマイニュース閉鎖 Close OhMyNews

市民メディアを売り物に韓国でその地位を確立させたオーマイニュースの日本版が本日閉鎖と聴く。

僕も2006年末から2008年半ばまで市民記者として、ここのブログ記事を原稿を投稿したりしていたけれど、日本に市民メディアは育たないと噂された通りのあっけない幕切れになってしまった。

掲載記事へのリンク外しをここ一週間かけておこない、投稿した記事に目を通してみたけれど、掲載記事と投稿記事の文章の改変はやはり未だに違和感を感じ、掲載記事への愛着は全くなかった。

オーマイニュース閉鎖に伴うネットの書き込みをざぁっと読むと、大手マスコミと何も変わらなかったとかいう批判が目につくけれども、オープン当時の鳥越さんのコマーシャル的な煽りの発言からそれに乗っかり、掲載記事の内容をろくに読みもしないで、思いこみのコメントをつける登録ユーザーだとか、サイトに導入された記事に対する評価システムなど、つぶし合いを助長する日本的な遊び感覚のシステムを全面に出したがために、逆にそれが編集スタッフのプレッシャとなり、世間受けする内容重視の紙面作りになっていったような気がする。

双方向性で情報の質を高めていくという課題が、掲載記事と投稿記事のギャップという問題があるのに、記名された記者ばかりにコメント批判が集中するという悪循環を生んだがために、身の回りのニュースを伝えようとする意欲ある記者も数百円の原稿料のために忙殺されるのを嫌うだろうし、コメント批判する人たちもだんだん飽きてくる。そんな状況がオーマイニュースが市民メディアになり得なかった一因があるんじゃないだろうか。

市民記者の「市民」を重んじるのか、「記者」を重んじるのか、三大新聞ではとっくにクリアされているこの命題に向き合わなかったから、ネットの市民メディアの一角は崩れたのだろう。

そして、今、僕はローカルの昔ながらの市民メディアの一角に居場所を持つようになり、数年間活動してきたネットの市民メディアから一時、身をひこうと思っている。

人と人がどう繋がり、それを自分の糧にどう消化し、人にどう伝えるかという活動はやはり互いの顔が見えなければ無理なのだろう。それは互いの顔が見えないという前提で安易な批判はしないというネットのルールが確立されていない状況下、致し方ないのかも知れない。

人と人がどう繋がり、それを自分の糧にどう消化し、人にどう伝えるか。オーマイニュースから学んだものは大きかった。

2009-04-23

とまどいトワイライト With puzzled Twilight

学生時代、映画サークルに毎晩のように通い、活動していた頃、倉本聰の書くテレビドラマが話題になり始め、サークル活動後の飲み屋でも映画の話を押しのけて、倉本聰のドラマの話で盛り上がりもした。

1979年にTBS系列TVドラマとして放送された木曜座「たとえば、愛」は当時人気だった女優の大原麗子を主役としたドラマで、その内容は忘れたけれども、主題歌「とまどいトワイライト」は今も耳に残っており、その頃のサークル活動の想い出とともに思い出させる。

YouTubeにあるかなと検索すると、さすがは団塊の世代が30代前後の時期だけあって、アップされていた。そのCDがないかと、Amazon.co.jpを調べるとタイトルCDはとっくに廃盤で、中古もプレミア価格がつけられている。

YouTubeの映像から音源だけを抽出するソフトが確かあったと思い、調べてみると、Free YouTube to Mp3 Converterなるものを見つけ、ダウンロード。英語のソフトだけど見よう見まねでさっそく試してみると、簡単にYouTubeの映像から音源をMP3に保存出来る。

抽出したMP3を携帯に入れ、繰り返し聞き、安定成長にあった日本のアンニュイな日々を思い返していた。

2009-04-22

ぐずつき4月 April when the weather is bad

例年になくいつまで経っても肌着が長袖のままの今年の4月。

今週は雨混じりの曇天が続くようだし、気温も低めになりそうだけど、気象庁の長期予報をのぞいて見ると、4月末の来週は「気温がかなり低くなる見込みです。農作物の管理等に注意して下さい。」との事で、これ以上悪くなるのぉと、気落ちする。

予想が今週に早まり、来週からゴールデンウィークは春らしい陽気にならないかなと願うばかり。

明日天気になーれ。

2009-04-21

立ちくらみ Postural hypotension

昨晩、久々に銭湯で立ちくらみを起こした。

20代くらいだったか、銭湯で思い切り立ちくらみを起こし、ぶっ倒れた経験もあり、昨晩も立ちくらみが起こるのが判ったので、その場にすぐしゃがみ込み、気を失うのを防げはしたけど、立ちくらみの度合いがひどかったのか、その余韻が尾を引く感じがあった。

ネットで調べてみると、立ちくらみは低血圧、貧血、自律神経から起こるようで、普段は少し高めといわれている自分の血圧からすれば、やはりストレスなどの自律神経がその要因なのかなとも思う。

昨晩のケースを具体的に書けば、湯船にあまり長くつからない方なのに、昨日は少し長くつかり、風呂を上がろうとかけ湯を頭からかぶった時、身体がふらつき始めた。

立ちくらみは下半身から上半身に血流を押し上げる血圧の不足によるものらしく、10年ほど前に一月半歩けなくなったヘルニアらしきものからの左足の軽いしびれ感も押し上げる血圧の不足の要因なのかなと思ったりする。

何はともあれ、立ちくらみを起こしやすい体質であることは間違いないのだから、何をするにも立ち上がりの時は十分気をつけなきゃと、身体からの教訓1、脳裏に刻むところなのだ。

2009-04-19

皐月模様 Appearance in May

有力馬がどっかに行っちゃって、皐月晴れとは相成らなかったグレード・レース。新聞などで予想馬にあげられていた馬たちが歯をむき出し、笑っているようで、悔し泣き。

暦の上での皐月はすでに週末の職場のレクリエーションでのボーリング大会と、申し入れ回答という硬軟両派が待ちかまえており、平日の職場の方もおそらくは昨年度の締めの総会準備が始まるのかなと思うのだけど、皐月の晦日は岡林信康氏のコンサートと決まっているものの、スケジュールを調べるとその日の仕事は残業で、終わるのが30分遅い午後5時30分。それから着替えて、コンサート会場のジャスマックの開場が午後6時。座席は自由席だから早めに行って、いい席を取りたい。となると、晩飯はコンサート後までおあづけとなる。

なにやら慌ただしそうな皐月模様がすでに見えてきた。

銭の深さにゃ縁無いけれど
惚れた深さを威張りやしゃんせ
旅も半ばを とっくに過ぎて
こんな大事を やっとこ知った

岡林信康「風詩」アルバム『風詩』(1998年作品初演)

2009-04-18

秘話『シェルブールの雨傘』 Secret story "Les parapluies de Cherbourg"

シェルブールの雨傘』を見終えた後、久しぶりに映画のパンフレットなるものを買い、今日は一日、それを読みふけっていた。

シェルブールの雨傘』には先に書いたアルジェリア戦争の話の他にも様々な伏線が隠されているらしく、その最たるものは女優の卵だったカトリーヌ・ドヌーブがロジェ・ヴァディム監督との間に子供が出来たけれども、ロジェ・ヴァディム監督はブリジッド・バルドーの元へ去り、未婚の母となり、女優生命も奪われかねなかったドヌーブにこの映画の話をジャック・ドゥミが持ちかけ、カトリーヌ・ドヌーブの女優人生が華開いたという事が書かれており、堕胎を禁じ、未婚を蔑視するカトリックの社会に対する批判を身を持って、取り上げたそうで、戦争、植民地、宗教、性、愛、偽善性などあらゆる問題をうちに秘めた作品だったらしい。

この記事を書いた秦早穂子氏は当時、映画の配給に携わっていて、アメリカの規制でヨーロッパ映画の配給本数が決められており、検閲を通らなければ日本の国内で上映が出来なかった状況も語られており、映画『シェルブールの雨傘』の前節になるジャック・ドゥミのデビュー作『ローラ』もそのお陰で配給を見送られたという逸話を書いている。

ドヌーブとロジェ・ヴァディムとの間に出来た息子は実父ロジェ・ヴァディムの映画で俳優デビューを果たしているそうで、この世の縁の不思議さを思いもするけど、映画『シェルブールの雨傘』で帰還兵が自暴自棄になるほどにロジェ・ヴァディムの非情さが浮かび上がる格好に当時は映ったのかも知れない。未婚である事を許さない社会が問題なのに。

入隊するための駅での別れの場面、恋人が乗った汽車が走り出した後、単なる見送りのように駅舎に戻ってしまうジュヌヴィエーブ(ドヌーブ)は薄情に思えるのだけれども。。。

2009-04-17

ジャック・ドゥミ Jacques Demy

観るたびに必ずなく映画『シェルブールの雨傘』とその監督ジャック・ドゥミが作った僕自身未見の作品『ロシュフォールの恋人たち』がデジタル・リマスターされ、再上映という事で、二週に渡り、観に行った。

未見の『ロシュフォールの恋人たち』をまず観て、体調良ければ、『シェルブールの雨傘』もと思っていたけど、風邪気味だったのもあり、結局、『シェルブールの雨傘』は今日観に行った。

ロシュフォールの恋人たち』はカトリーヌ・ドヌーブがお姉さんと共演した映画としての知識くらいしかなく、見始めて、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリスというアメリカの新旧ミュージカルスターが出ているのを知り、嬉しくなってくる。ジャック・ドゥミのアメリカン・ミュージカルへのラブレターなのだろうなぁとも思うけど、後半の恋のさや当てが延々と続くあたりから、疲れてきてしまった。

90分に凝縮された『シェルブールの雨傘』に比べると2時間強の『ロシュフォールの恋人たち』はきつい。

そんなわけで今日再開と相成った『シェルブールの雨傘』。開演時間に間に合わなく、オープニングの雨傘が行き交う場面は観られなかったけど、お馴染みのストーリーはデジタル・リマスターの鮮やかさ同様色あせることなく、ラストの再会シーンではお約束の涙に座席に埋もれてしまった。

雨で始まり、雪で終わる『シェルブールの雨傘』1957年から1963年までの物語の背景にはアルジェリア戦争があった。フランス市民の生活を描いた映画の中で、アルジェリア戦争が語られたのは、この作品とゴダールの『小さな兵隊』だけだと云う。映画の中で、戦争を批判する言葉は語られないけれども、出征する兵士の悲恋が描かれたこの映画。二人の間に出来た女の子が僕と同じ歳でもあり、僕の出生も似たような父と母の悲恋があったと聴くからなおのこと、この物語に親近感を感じるのかも知れないけれど。

彼女に棄てられた帰還兵に共感するのは男だからなのだろうかと、この映画を観るたびに思うのはなんでだろう?

マストロヤンニが妊夫になった『モンパリ』、ドノヴァンのメルヘン物語『ハメルンの笛吹き』などなど今では観る事も叶わないジャック・ドゥミの映画が復刻されるきっかけになることを願いたくなってきた。

2009-04-16

寒の戻り Return of cold

気温はそこそこ上がっているけど、まだまだ風か冷たく、ここ数日は寒の戻りみたいで、風邪気味の体調もそのまま継続している。

こんな時に限って、根を詰める仕事が立て込み、疲れが取れぬまま、鼻水、咳などの風邪の症状も一進一退。

体調不良の時に限って、節約感覚もなくなり、ネットオークション、レンタルDVD、それに悪友が教えてくれた「岡林信康ライブ」のチケット購入など、調子の悪さを忘れるための浪費をしてしまっている。

まぁ、それぞれ残るものだからいいのだけれど。

寒の戻りも峠を越えるみたいで、小雪舞う最低気温マイナスの今日とは打って変わって、明日は最高気温二桁とか。

穏やかとはとてもいえない早春スケッチブック、寒の戻りから感の戻りになる事を願って、南無阿弥陀仏。

来月末の岡林信康大日本エンヤトット救世楽団を聴きに行き、「極楽、極楽、極楽湯」とならんことを。アーメン。


岡林信康コンサートチケット

2009-04-12

桜咲く Cherry blossoms bloom.

春のグレード・レース、まずは桜が咲きました。次は皐月晴れと生きたいものです。(^-^)/

2009-04-11

申し入れ日 Proposal day

今日は週末の職場の待遇改善、施設改善に関する申し入れの日。

管理職員が気がつかない待遇、施設の改善を報告し、検討して貰う趣旨で、年に一回、春の賃金ベアが決まり、発表なる前に併せて検討して欲しい事を申し出るもので、仕事後にミーティングルームで管理職員に手渡される。

組合的な活動から親睦会に変わったうちの職場の会も、申し入れだけはなくさず続けられており、この日の前に会員である従事員に要望箱を提示し、声を募り、そこに出された要望を待遇と施設に振り分け、申し出る項目を整理した上で出されるのだけれども、今年は様々な要望が投稿された。

施設改善は事業所のトップの判断で対処出来るものであるから、指摘された箇所をチェックし、数週間後には回答が出るのだけれども、待遇改善は中央の人事部の判断が必要になるため、一月後の賃金ベア回答と併せて発表になる。

昨今は経費引き締めムードが強いため、厳しい状況を聴かされた上での発表となるのだけれども、今年はどうなのだろうか?

役員を務めて、早4年。そろそろ後継にバトンタッチを考えており、これが自分が関わる最後の申し入れ日にしようとも思っているから、少し気が張るのだけれども、仕事とは云われた事をこなすだけではなく、相手が気がつかないところを指摘しあわなければ、問題点がいつまで経っても解決しないという面もある事を、親睦会役員をすることにより、気付かせても貰った。

この申し入れが終われば、レクリエーション、忘年会など親睦会のメイン行事の準備に追われる。職場という人間同士のコミュニティを如何に潤滑させるか、それがもうひとつの仕事の大切な側面であると、この職場は考えている。

自分たちの生きる場を守る事こそ、仕事じゃないだろうか?

2009-04-10

シリアの花嫁 The Syrian Bride

先週観た映画の忘備録。

親類縁者と国境で裂かれた家族、「叫びの丘」と呼ばれる国境地帯で拡声器を使わなければ会話出来ないその家族に娘の縁談がまとまる。国境を越えた者は二度とこの地に戻れない。

イスラエルとシリア、レバノン、ヨルダンにまたがるゴラン高原の政治的に複雑な状況の中、娘の幸福を願い、シリアの縁者に嫁がせようとする家族は、少数民族であるが故に、孤立したこの土地では「無国籍者」として監視されもする。

生きるために長男は反対を押し切り、ロシア人の妻の元へ旅立ち、次男はイタリアへ出稼ぎに行っているけれども、妹の婚礼の日、みんなは懐かしい故郷に集まり集う。

何度も投獄される父に寄り添う母を見守る姉はいつしかこの家族を支える女性となり、不安がる妹を励まし続ける。

そんな入り組んだ環境の中、花婿のいない婚礼は進められ、いよいよ嫁ぐ「国境越え」の儀へと向かうのだけど、そこには「国境越え」のプライドを争う国の役人のメンツ争いがあった。

何の遮りもないところに鉄条網を作る人の愚かさは敵対視する者たちへの柵であるとともに、鉄条網の中に住む者たちをも縛り付ける柵でもある。

イスラエル制作という事で、イスラエル側に手落ちはないという風に作られつつも、「国境紛争」の馬鹿馬鹿しさを映画は描きつつ、役人のメンツ争いなどは縦割り行政を思い起こさせる。

人の幸福よりも自分のメンツ。心の国境を越えるのは難しい。

2009-04-08

顧客なんか作らなくていい The customer is unnecessary.

スーパー銭湯の中に入っている食事処で、我が子から届いたメールの内容を同伴した友達に話している女性の方がいた。周りを気にせず、大きな声で話をしているその内容は近く座っていた僕にもよく聞こえるもので、そのメールの内容は我が子が勤める職場環境の急激な変化に対する愚痴のようなものだった。

その話の中で、驚いたのはその上司が喋ったという「顧客なんか作らなくていい。ともかく売れ!」というもので、成果主義が横行する最近のビジネス界もとうとうここまで来てしまったのかと思わずにいられなかった。

数年前、同じ職場で働いていたアルバイトの学生が就職し、社会に出た時、その入社式で「この会社に一生いられると思うな」という訓辞を聞かされたという話に、終身雇用の崩壊、社員使い捨てが始まったかと思ったけれども、今回聴いた「顧客なんか作らなくていい」は売れればいい的なゲリラ商法へとビジネス形態が変わってきて、顧客の信頼を得る事で会社の信頼を作るという今までの当たり前のコンセプトの否定であるだろう。

ネット広告の掲載などやっていると、企業名を出さずに、何を売っているかばかりを強調した広告が多い事が当たり前になっており、掲載終了の時など、始めて聞かされる企業名にどの広告が終了になったのか判らないケースがままあるけれども、社会全体がそれでよしの状況になってきているのだろう。

ビジネス取引後のトラブルの多発など「顧客軽視」の社会的リスクは大きいと思うけど、社会のモラルはなぜそこを問わないのだろう?

母親にメールしたその子は、素朴にその会社のやり方に対し、疑問を述べているもののようだったけれども。

2009-04-07

辛い別れ You Needed Me

先週の風邪気味がまだ治らず、「今日も鼻づまり、薬がうまい」の日々、とある訃報を悼む投稿がメーリングリストで流れている。

家庭崩壊が騒がれた時期のテレビドラマに「沿線地図」という山田太一のシナリオドラマがあり、そのテーマ曲として使われていていたアン・マレーの「辛い別れ(You Needed Me)」を聴きたくなった。

私が泣いてこぼれた涙一粒
あなたは拭いてくれた 戸惑う私
あなたは私の心を晴らしてくれたのだ

私が売った魂を
私のためにあなたは買い戻してくれた
そして私を立ち上がらせ 私に尊厳をくれた

どういう訳かあなたは私を必要としてくれた

あなたは私に力をくれた
また一人で立てるだけの力
世間に立ち向かえるだけの力
また一人で大丈夫なだけの

私を高く掲げて
台座の上に載せてくれた
とても高くてはるか永遠を見渡せるくらい

あなたは私を必要としてくれた
あなたは私を必要としてくれた

信じられない あなただなんて
信じられない これが本当だなんて
私こそあなたが必要だった
あなたがそこにいてくれた

私は離れやしない
なぜそんなことするだろうか
愚か者になるだけ
なぜならやっと私を想ってくれるひとが見つかったから

あなたは私の手をとってくれた
寒い時には 私が道に迷った時は
家まで連れて来てくれた

あなたは希望をくれた
もうおしまいという時に
そして私の嘘を
また真(まこと)に戻してくれた

私を友達とさえ呼んでくれた

あなたは私に力をくれた
また一人でたてるだけの力
世間に立ち向かえるだけの力
また一人で大丈夫なだけの

私を高く掲げて
台座の上に載せてくれた
とても高くてはるか永遠を見渡せるくらい

あなたは私を必要としてくれた

2009-04-04

ミサイル報道 Missile report

この国はますます理解不能な国になったのだろうか?

まずは北朝鮮のミサイル発射準備が騒がれた段階で、国民の不安感をかき消すための方策を示すべきところを、最悪のシナリオであるはずのミサイル発射を想定したシミュレーションを報道するマスコミ。

発射の誤発表を慎重にならないまま、マスコミに流した政府。

緊急時にパニックを起こさせないように報道管制しくはずの国が逆にパニックになり、舞い上がってしまっている。

視聴率目当てのマスコミが騒ぎ、単純反応示す国民が感情的になる構図はよくあるパターンだけれども、国家が率先してパニック起こす事例は人類史の中でもまずはないのじゃなかろうか。

「酔っぱらい会見」に続き、とうとう「ばかの壁」も世界デビューを果たしたか?
あぁ、恥ずかしい!

2009-04-02

祈る人 Person who prays

行動パターンから自閉と思われる、年の頃なら20歳前後の人をよく行くスーパー銭湯で始めて見かけた時、何気なくその人の行動を見ていると、湯船につかっていて、はしゃぎそうな発作が起きそうな時に、必ず手をあわせ、合掌する姿に、面白くもあり、おかしくもあり、けれども本人にしたならば本物の祈りであるだろうと、ちょっと愛おしく感じた。

身体の不自由さや持病を持つ者たちにはおそらくこの人のような思いを必ず経験しており、そうなりそうな時、ハタ目から見れば滑稽なほどに、怖れを抱いているのだろうと思う。

自閉の定義の話を聴く機会があり、知った事なのだけれども、1) 対人的相互反応における質的な障害、2) 意志伝達の質的な障害、3) 行動、興味および活動の限定され、反復的で常同的な様式という三つ組みの障害といわれる物すべてが揃った時に、自閉と診断されるそうで、もっと判りやすく云えば、空気が読めない「KY」、人の気持ちが分からない、物事への執着が強いなどであり、三つ組みにはならない二つのみならば、大多数の人間が極論、自閉予備軍となるそうで、自閉というものはけして特殊な状態ではないそうである。

エリート進学校の生徒なども三つ組みの障害が当てはまる事例は多いらしく、顕著に見られるその本人の行動パターンや執着心を如何に伸ばしていけるのかが問題であるらしい。

身体の不自由さや持病を持つ事にしたって、迷惑かけるからという論法での封じ込めであり、身体が不自由というだけで本人が責められる道理などどこにもない事である。

「迷惑かけて何故悪い、迷惑かける事が君たちを知って貰う事なのだ」と1980年当時描かれたテレビドラマ「男たちの旅路 車輪の一歩」は働く事が社会参加とされ、社会参加出来ないお荷物扱いされていた障がい者たちの生活を赤裸々に描いたものであったし、同じく「男たちの旅路 シルバーシート」は定年退職して社会に相手にされなくなった年寄りたちの抵抗を描いたものだった。

人間として当たり前の悩みや苦しみが日本というこの国では「迷惑な事」「個人的な事」と抹殺される、それはここ最近、要領を得た若者たちにより顕著になっているように感じられる。

風邪をひいていても無理をして出て来て、「平気、平気」と咳き込みながら仕事をしていれば頑張っていると認められる。身体が弱く、すぐに風邪など貰ってしまいそうな人も職場にはいるのに。

僕も歳とともに大病の心配を気に病むようになり、出来るだけ無理しないように心がけているけれども、それが逆に怠けと受け取られかねない事もままある。

そんな時、僕は心の中であの祈る人になる。「ここで体調を崩したくない。」体調を崩した報いは健康管理出来ない本人にあると、社会から疎外されてしまうから。

2009-04-01

グロッキー Groggy

ついにグロッキーしました。

ここんところの気候不順と先週あたりからの身体の変調で、昨晩の仕事帰りには寒気がして、節々痛く、のどがいがらっぽくもなっていた。

だいたい自分の身体の傾向として、そんな病状が出始めると風邪をこじらす。

用心のため、仕事を休んで、昼間ずっと寝ていたけれども、のどのいがらっぽさはまだ残っている。

長引かれるとちょっと困る自体も起こるので、早く治したい。

健康管理は自己責任。まずは養生しなければ。