2010-01-29

筋肉痛 Muscular pain

退院後、毎日、用事を済ますために出歩いており、やはり病院の個室生活が長かったせいか、両足がパンパンに張り、筋肉痛で歩くのが少し辛い感じになってしまっている。

昨日は特定疾患の申請に区役所に行き、ついでにと思い、札幌駅前まで遠出したけど、これ以上無理しちゃやばいと思い、真っ直ぐ帰宅。今日は週末の仕事の復帰面接を受けるため、時間ぎりぎりで、無理して街中を走ったけれども、当の上司が遅れて出勤してきて、無理して走らなくて良かったかなと思いつつ、苦手なはずの上司に、我ながらよく口が動くと云うほど病気のことを話しまくり、それだけ元気ならと、明日から復帰OKを取りつけ、気が楽になったせいか、街中ブラブラしつつも、やはり足の筋肉痛が気になり、またまた極楽湯へ。

半身浴に、足浴にと、なんとか足の痛みを和らげようとしたけど、この歳の筋肉痛はなかなかしつこいもの。

昔通っていた知り合いのジムで、筋肉痛の話を聴いたよなぁと思っても、これまたなかなか思い出せない。

明日明後日は地上7階建ての建物を毎時間全館歩き回るお仕事始め。筋肉痛がこじれないように願いつつ、のんびり歩いて、久々の仕事仲間に、来客接待をしようかなと思うところ。

誰彼なく筋肉痛の和らげ方を聴き歩いているかも知れないけれど。(笑)

2010-01-27

退院後 After leaving hospital

月曜の血液検査も異常が見られず、翌火曜日に無事退院となりました。

従妹の迎えで帰宅し、さて、溜まっているメールを取るかとパソコンを起動させると、何故か繋がらない。設定をいろいろ変えても何をやっても駄目。あきらめて、留守中に届いている葉書類の束を順に見ていくと、NTT様から「契約解除予告通知書」なるものが届いており、平成22年1月31日が最終指定期日とか。

よく読むと昨年の11月分の引き落としが出来なくて、それ以前に利用停止の処置がなされている物が平成22年1月31日までに支払われなければ、契約解除するぞと云う内容で、どれどれとそれ以前に届いている葉書を見ていくと、平成22年1月4日に利用停止する旨の葉書があり、コンビニで支払う支払い書も添えられている。

退院その日はまだまだ病院生活のサイクルが残っており、ネットも繋がらないから、早々、それでも病院よりも一時間遅い11時に床に着き、身体を休める気持ちもあり、就寝する。

翌日、さすが周りが気になる病院とは違い、熟睡したけど、朝の5時には目が覚め、パソコン使えずに返事をしていなかった相手に、布団の中で携帯からメールを打つという病院と何も変わらない生活で始まり、すべてに返信し終えたのが、9時近く。急いで、起きて、近くのコンビニにNTT様にお金を振り込み、帰ってきて、朝飯を食べた後、二階に上がり、パソコンを立ち上げると、おぉ!ネットが繋がっていると感動する。というか、現金な奴とせせら笑い、退院後の用事を順次片づけなきゃと、まずは長年勤める職場に退院報告の電話を入れる。

退院後にしなきゃいけない物をざっと並べると、職場への挨拶、特定疾患の役所への申請、確定申告の書類作成に、今後に備えて、肝炎患者の会との人脈作り、簡易保険、共済保険の入院保険金の申請手続きなどがあり、その他に、パソコンのソフトの更新も何件かある。

退院すぐはのんびりととは行かない現実に、さてさてどうのんびりこなしていこうかと考えたりする。

退院翌日の今日は職場に退院報告の電話を入れたところ、別な日に体調問診の面接が用意され、空いた時間、観たかった映画が今週で最後だったので、身体を休める意味も込め、観に行くと、昔の友だちとばったり出逢い、入院生活の話をするはめになり、結局、映画の後も一緒に食事に行き、身体を休めるまでは至らなかった。

そのまま帰るのも何なので、病院では結局許可されなかった風呂に入りに、街中の極楽湯に行き、長風呂禁止だよなぁと思いつつ、久々の銭湯でまったり過ごし、帰り際、黄だんというやばいシグナルが出ていないか、鏡をのぞき見る。

気をつけなきゃならないこととやらなきゃならないことをどのようにこなしていくかの最初の一歩。ところどころで思いも寄らない展開にあたふたさせられる事もあるけれど、自己管理をしていかなきゃまた自分が悲鳴を上げる事にもなると自戒しつつの、新生活、頑張らなくちゃと帰りの夜道、ふと思う。

2010-01-24

願掛け Prayer

週明け月曜の血液検査の結果で、退院できるかどうか決まるというので、願掛けでもないけど、口ひげを剃らずら伸ばし、退院祈願を秘かに行っている。

思えば、入院日が平成21年の12月21日と、見事に1と2が並んだ日にちで、実母の亡くなった日が8月12日、養父の亡くなった日が12月12日と、1と2が並んだ日にちはなんか僕にとって何かと因縁のある日並びで、祖父の名前が一二と書いて「かずじ」と読むこれまた因縁めいた名前。

入院日がそんな因縁めいた数字の並ぶ日だったから、自分でも覚悟を決めて、治療にあたれたから、普通でふた月入院の覚悟が必要といわれた治療もひと月足らずですんだのかも知れないと思う。

月曜の血液検査の結果次第ということで、あまり無理せずにベットの上で安静にしているけど、もしかすると、本来安静期間なのだけど、通院治療で様子を見るということなのかも知れないとも思うし、こうした微妙な問題って、結局自分がどれだけ自分の体調を理解しているかが問われている気もする。

退院後にしなければならない事を、頭の中で整理し、優先順位を考えたりしているけど、最優先は自分の体調なのかなとも思ったりする。

10年前の起き上がれなくなった時から、10年目にしてのこの入院も、自分の中に10年周期の要注意シグナルとも感じるけれども、10年後など判るはずもないから、日々、自分の体調と向き合わなきゃなと「祈り」でもある願掛けに勤しむばかり。

命短し、恋せよ、乙女。

2010-01-21

おかゆ Rice gruel

入院ひと月目の今日、とうとう試練の日が訪れた。

明日の大腸カメラのために、今朝から食事メニューはおかゆ。。。

カロリー、朝、171kcal、昼、147kcal。

たんぱく質、食塩相当量は昼の方が紅鮭フレークで多いけど、夕飯はさらに減ると、大腸カメラの経験者であるお向かいの若者は嬉しげに語る。

昼のシャワーの後、リハビリかねて、地下の売店に行こうかと思うけど、そこでエネルギーを消耗もしたくないし、かといって、唯一許された水分補給のペットボトルの備えがこんな時に限って少なくなっており、空腹に腹を満たす分だけでも売店で買いたい気もする。

明日は朝食抜きで、朝の8時から2時間かけて2リットルの下剤攻めが待ち構えており、大腸カメラの前日の過酷な時は過ぎていく。

売店に行こうか、ベットで安静にしていようか、シャワー上がりのハングリーマンは今も悩んでいる。

2010-01-20

リハビリ Rehabilitation

治療経過がよく、身体の免疫力が回復したのか、昨日から病室から出る時に必ず着用だったマスクもしなくてよくなり、食後に必ず出されていたうがい薬もしなくてよくなり、煩わしかったものが一気になくなり、来週明けの血液検査の結果次第では、即日退院になるかもしれないと云われた。

そうなってくると気になるのが、運動不足から来る体力低下で、入院からひと月、個室から一歩も出てはいけない時期が3週間あったのでなおの事、衰えているのは当たり前で、ベットの上での生活が大半を占めるから、トイレやシャワーに行くのに廊下に出た時など足元がおぼつかないことが間々ある。

昨日、退院の話を聞かされたのを契機に、少し足腰鍛えるかなと、昼から地下の売店までエスカレーターで下がり、気晴らしをした後、地下から病室のある四階まで階段でゆっくりペースながら、手すりに頼らず、上がってみた。

足が上がらないなどということはなく、無事、四階まで辿り着けたけど、息切れは思った以上に荒くなり、やはり足腰が弱っているのかなと実感する。

一週間を切ったであろう入院生活、無理しない程度に、少しずつ、身体を鍛えねばと思う。

明日は試しに四階から地下まで階段で下がり、また階段で戻ってこようかなと思う。

リハビリのこつは気分転換。無理するようになったら、それはリハビリじゃない。

この事だけを肝に銘じて。

2010-01-19

肝炎対策法 Hepatitis policy act

自分が発症したB型肝炎について、調べていくと、薬害として騒がれたC型肝炎とともに、戦後日本のずさんな医療体制が引き起こした国内最大の感染病である事が判ってきた。その数は発症患者で約350万人といわれ、発症していなく肝炎が潜伏しているキャリア者を含めると国民の10人にひとりがウイルス性肝炎の持ち主であるとも言われているらしい。

B型肝炎の場合、1960年代頃まで集団予防接種が学校などで義務的に行われており、その際、注射針を取り替えずに、複数人に使いまわしされたがために感染した人が多数おり、国の責任として各地で訴訟を起こしており、薬害訴訟とこの集団接種訴訟の動きが、肝炎対策法の制定を後押ししている。

肝炎対策法は昨年夏の解散劇で、審議途中のまま、廃案になり、11月30日に自民党欠席のまま開かれ、ウイルス性肝炎の患者支援と医療体制の整備を盛り込んだ肝炎対策基本法案が全会一致で可決された。

その内容はあくまで肝炎対策の基本法案であり、具体的な救済策はまだ具体的に示されておらず、12月4日に札幌にて行われた北海道B型肝炎訴訟公判で、原告団共同代表から「私たちには時間がないので早急に法案の具体化を進めてほしい」と国の姿勢に対する要望が語られ、それを報じたテレビキャスターは、肝炎対策基本法について「仏作って魂入れず」と語っていたと、肝炎患者さんのブログで書かれていました。

僕の場合も肝炎の型から、子供の頃に何らかの形で貰ったものらしく、肝炎感染の主なものである母子感染、大きな病気をしての輸血感染など心当たりがなければ、集団接種によるものと考えられるらしく、大人になってからの感染ならば、一過性でウイルスを身体から排除出来るらしいけど、子供の頃に貰ったものは、身体の免疫力が十分成熟していないがために、ウイルスを身体の一部と認識し、慢性的な肝炎になっているケースや肝炎が発症しないまま、抗体化するキャリアになるなどがあり、数十年して、何らかの要因で身体の中に潜んでいたウイルスが発症するというケースに僕の場合は当たるらしい。

高額な医療費がかかる特定医療疾患と認定されながらも、長い時間、治療に費やされるなど、生活に多大な影響をきたすこの病気に対し、具体的な支援策がまだ示されておらず、この国では内臓疾患に対する障害認定は、肝臓ならば、肝硬変など重症化して初めて認定されるという厳しいものであり、無理できない身体である肝炎患者に対する具体的な支援策が早急に望まれるし、救援団体による訴訟という形でしか、今ある命を救う手段はないと聞く。

肝炎対策基本法案の付帯決議として、以下が挙げられており、早急な具体策が示されることを願うばかりである。

  • 施行にあたり肝炎患者等であることを理由に差別されないよう人権尊重に最大限の配慮を行うこと
  • 肝炎の唯一の根治治療であるインターフェロン治療は、現在、収入に応じて、月1万円、3万円、5万円の自己負担になっているが、これを原則月1万円にするのが、従来の民主党の主張で、また、B型肝炎の抗ウイルス療法についても負担軽減策が講じられると予測される。
  • 治療と社会生活を両立できるよう、地域における診療体制の整備や勤務時間等について企業等に柔軟な対応を求めること
  • 肝炎治療のための休職・休業を余儀なくされた患者に対する支援について早急に検討を行うこと
  • 地域の拠点病院の整備を図るとともに専門知識及び技能を有する医療スタッフ育成のために必要な措置を検討すること
  • 肝炎医療を行う上で必要が高い医薬品等について治験を迅速かつ確実に行うための体制の整備等を講ずること
  • 肝炎以外の慢性疾患についても必要な財政支援のありかたについて検討すること
  • 肝炎対策推進協議会の人選にあたっては、肝炎患者等をはじめとした幅広い理解を得られるよう公正中立を旨とすること

2010-01-18

私の試練 This is My trial

入院生活も社会復帰の準備段階に入ったのか、今週は明日火曜日に、胃カメラ、そして、金曜日に大腸のカメラの検査があり、このひと月の投薬で、胃腸に異常が出ていないか調べるらしい。

胃カメラは入院前、診察を受けた病院で、鼻から小型カメラを通す胃カメラをやり、入院直後に、口から少し大きめのカメラを通す胃カメラをやっていて、このひと月足らずで、今度のを入れると三回経験することになる。

鼻から入れる胃カメラは胃に届くまでは何ともなく、引き出す時にゲロのようなものが出たけれど、口から入れる胃カメラはのどを通す時点から激しい嘔吐に襲われ、それでもかまわず胃までカメラを入れるから、その苦しさは今でも覚えているけど、明日は、そのきつい口から入れる胃カメラだそうで、またあの苦しさを味わうのかと思うと、げんなりしてくる。

まぁ、ひと月前の最悪のコンディションと今とじゃ状況は違うけど、これで同じ苦しみだったら、トラウマになっちゃうだろうなぁとなんとなく憂鬱。

そして、同室のお兄ちゃんの大変な思いを見てきている大腸カメラは、肛門から入れられるカメラ自体はそうでもないらしいけど、朝の5時から下剤2リットルを飲まされるのが一番きついとか。

上から、下から攻められた暁には退院の二文字が間近に見えてくるのだから、乗り切るしかないのだけれども、私の試練はまだまだ続く。

BGMは山口百恵の「This is My Trial 私の試練」。

2010-01-16

ゆとり Composure

治療経過の報告も出て、来週は過酷な胃カメラ、大腸カメラと続くのだけど、退院見通しも出されたせいか、何とかなるだろうの元々ノンビリズムな性格もあり、日がな一日、パソコン、携帯と戯れるこの頃。

行動範囲もシャワーとトイレのみに限定されていたものが、病院内なら、マスク着用は必須だけれど、どこに行ってもいいという許可が出て、地下にある売店を覗いてみたけど、何もなく、週刊誌の類にちょっと惹かれはしたものの、疲れそうだし、烏龍茶のペットボトルの大きなサイズを買うだけで病室に戻ってくる。

パソコンの通信環境はネットの速度が極端に悪く、やはりブロードバンドタイプのデータ通信スティックが欲しいところだけど、通販サイトがやる気がないみたいで、携帯端末でも、Windows7のネットブックでも購入手続き最終段階で同じエラーが出て、買えず、サイトに問い合わせると、利用可能な環境はビスタ以前のパソコン環境ですと答えが返ってくるだけで、それなら買わんわと開き直りもするけど、通信の遅さにイラつき、疲れもする。

今日は外の景色は朝から吹雪模様で、同室の奴も、半月後の退院のあと、駐車所の雪かきを思うと気がめいるといいつつも、娑婆から遠く離れた入院生活にこちらも馴染んでいる。

免疫力抑制という同じ治療をしているために同室になった二人だけれど、新たにベット二つが運び込まれた時には、部屋から出る時、マスク着用必須の「マスク族」が増えるのかと変に盛り上がりもしたけど、結局一泊どまりの患者さんが来ただけで、「マスク族」二人の暮らしは相変わらず。

そんな何の変哲もない日々を送っていると、無駄遣いの虫が動き始め、オークションのページなんか見たりしている。

人はなぜゆとりが出始めると遊び心が生まれるのだろう。(笑)

同室の奴も見舞いに来たお母さんに、「退院したら、家族会議を開いて、テレビを買うか話し合う」と甘えていた。

ゆとり出始めた「マスク族」二人に乾杯。

2010-01-14

がんばれ Do your best

同じ部屋の大腸疾患の患者さんが内視鏡検査のため、詳しくは判らないけど朝の5時から大量の下剤を飲み、排便をせかされている様を見るにつけ、これこそ「がんばれ」としか言いようがないよなぁと思う。

昨日の主治医の経過説明で退院の話がやっと出てきたせいか、一緒に話を聴いた従妹が、病室に戻った後、入院当時、主治医から聴かされ、口止めされていた話を教えてくれた。

主治医は急性肝炎は死にいたる危険性もあるもので、僕の検査数値は肝機能の値は非常低いものの、肝炎と闘おうとする値が思いの外よく、それに賭けて、治療を行うと話したという。ただ、最悪の事態の覚悟も求められたらしい。

自律神経失調で看護にも来られない母や糖尿で車椅子生活をしている叔母に話すことも出来ず、従妹はひとり、その覚悟を胸に秘め、僕の身の回りの世話を焼いてくれた。

具合が悪いとか、身体がふらつく、どこが痛いなどの自覚症状がなく、ただ黄疸で身体の色が気味悪く、尿も血が混じったように妙に赤みを帯びた真っ黄色なのが怖いと思う程度の僕も、入院翌日の個室への移動、数日して黄疸が引き始めた時の看護婦さんたちのオーバーに感じられる喜びように違和感を感じてはいたけど、そこまで深刻だったのだなぁと改めて、無無言の臓器である肝臓の怖さを思い知らされた。

病気と立ち向かう患者さんに対し、看護婦さんたちは「がんばっている」と励ますけれど、「がんばる」とは死ぬまいとすることなんじゃないかと思ったりする。

身体は本能的に「がんばる」ものであり、「がんばる」身体を保つことが人間にとっての「がんばる」意味なのじゃないか。

命があって始めて、社会がある。そのことを忘れると、社会のために無理をして当たり前という本末転倒な理屈がまかり通るのじゃないか、とふと思う。

2010-01-13

海よ sea!

検査もなく、ただ病室で日がな一日過ごす日々、ネットブック・パソコンが届き、暇つぶしが出来る ようになった。

ただ、ネットに繋ぐ環境がなく、どうしたものかといろいろ考え、調べていくと、どうも手持ちのスマートフォンのアドエスに無線LANの機能を持たせるソフトがあるようで、そのソフトとウィルコムの無線LANオプションを組み合わせれば、追加料金わずかで、ネットし放題の環境が整う事が判り、試してみた。

こんなわずらわしい事を調べられるのも入院していて、時間があり余っているからで、ゆとりあって始めて、ハイテクは活用できるのだなと変に納得したりしている。

同室の若者のところにはひっきりなしの来客で、寂しがり屋っぽい若者は夜になると電話を掛けまくっている。けれども、ひっきりなしの来客もよく見れば、同じ顔ぶれが毎日来ているだけで、病気の人を案じてくれる人って案外限られてくるのだろうなぁと思ったりする。

僕も身内の他は、職場と後、飲み会の約束をした仲間くらいにしか、入院のことを教えていないけど、B型肝炎という病気の知識が欲しくて、その事に詳しく、付き合いあった方たちにも教えはしたけど、何のフローもして貰えなかった。

人が苦境に立った時、信じられる人かどうが判るというけれども、確かになぁと思ったりもするけど、今、よく言われている「孤独死」って、そんな苦境を理解できない人ほどなるんだろうなぁとも思ったりもする。

そんな折、数年前に、YOUTUBEにアップした映画「海よ、お前が」の動画について、見知らぬ人から問い合わせのメールがきた。

この映画「海よ、お前が」は帆船日本丸に乗り込んだ商船学生たちのドキュメントなのだけれど、思い出持つ人が多いみたいで、時折、問い合わせがある。

その人も自分の思い出をメールが語られていた。

たまたま僕はそのビデオソフトを1980年の公開まもなく発売されているのを知り、購入していたので持っていたのだけれど、DVD化もされていない今ではお宝なのだろう。

海よ、おまえが泣いてる夜は
遠い故郷の歌を歌おう。
海よ、おまえが呼んでる夜は
遠い船乗りの歌を歌おう

中島みゆきの「海よ」を思い返し、今日、主治医からの経過報告を一緒に聴いてくれ、身を案じてくれる従妹がおり、孤独にならなくてすんだ自分が幸福と感じる。

経過良好の知らせに、従妹は、入院当時に病院側から告知され、口止めされていた危険な状態を、僕に話し、「よかった」と涙する。

そして、僕は映画「海よ、お前が」を懐かしむ人と退院したら、と約束のメールを送る。

海よ、お前は覚えているか
若い船乗りの夢の行方を
海よ、お前は覚えているか
そして帰らない小舟の数を

2010-01-11

果実の甘み Sweetness of fruits

大部屋に移り、一番変わったのが食事で、なま物OKになり、最初の夕食についていたデザートのパインの甘さは格別だった。

日に三度の食事もビフィズス菌飲料がついていたり、今まではソティとして出されていた青菜物がおしたしとして出されたり、好き嫌いないから別に食べ物に固執はなかったけど、この病気になったことで、食べられるありがたみを改めて感じもする。

入院当初に聴かされていた夕食のふたパターンから選べるメニューも利用できるようになり、単に魚か、肉かの選択だけども、それだけでも身体がよくなったんだと実感できる。

みかんのゼリーはまだしも、時季はずれのぶどうは種が果肉よりも多かったりするけど、果実の甘みに癒される。

同室の若者は大腸疾患のため、お粥ご飯に空腹が満たされずに早く寝て、我慢をすると言っていたけど、向き合って食べる時に何となく申し訳ない気もする。

昨日は従妹が届けてくれたパソコンとDVDプレーヤーをセッティングして、従妹が家にあるDVDから適当に見繕ってきたものから、自殺志願者に桜桃(さくらんぼ)の味を忘れたのかと語るイラン映画「桜桃の味」で知られるアッパス・キアロスタミ監督の初期短編作品「パンと裏通り」を観る。

パンを買いにお使いに行った坊やが怖い犬に行くてをはばまれ、通りすがりのお爺さんにくっついて歩き、難を逃れるたわいない寓話は何か人生を感じさせる。

「桜桃の味を忘れたのか」生きるとは誰かに助けられていることを思い出すことなのかも知れない。

2010-01-09

大部屋暮らし Large room living

昨日の午後、主治医から経過説明があり、順調に経過しており、来週明けには今の個室治療から大部屋に移っての治療になるとの説明があり、今行われている朝昼晩の食前の血糖値の測定もやらなくなるといわれた。

シャワーのみの部屋からの外出許可も緩和され、マスクは必須だけれども、外出制限はなくなり、今まで出来上がってきた食事をレンジで再加熱して出されていたものも、加熱せずに食べられるようになるといわれた。

と、程なくして、看護婦さんが来て、個室を必要とする患者さんが出たので、申し訳ないけど、すぐ大部屋に移ってくれないかと頼まれ、引っ越しとあいなった。

消化器系疾患の患者さんは容態が悪化すると、死と向かい合わせになり、個室を使わざる終えない人でも免疫力調整の治療以外ならば、長居する人はあまりいないように見聞きしていて、思う。

そんな事情も知らずに、入院するらしい年輩の人がホテル気分か何か知らないけど、廊下で、個室は空いてないのかと、看護婦さんに聴く声が聞こえた時には相部屋の煩わしさだけでアホだよなと思う。

ともあれ、約三週間の監禁生活もピリオドを打ち、引っ越しとなったのだけど、引っ越し先は僕と同じく免疫力を調整している人が同室の四人定員の部屋に二人という社会復帰のリハビリとしてはなかなか最適な環境。

同室の人は大腸疾患の若い方で年末押し詰まった時に、入院するよう言われたのだそうだけど、年越しは勘弁と、年明け早々入院したらしい。

久々の話し相手のお兄ちゃんも大部屋ひとりだったせいか、人なつっこい感じで、まずはホッとした。

詳しい治療経過の報告と今後の予定は連休明けに聴かせてもらえるとの事なので、社会復帰間近に望みを託し、人恋しさが募るこの頃。

2010-01-08

意外に遅れたハイテク文化 Unexpectedly late high-tech culture

24時間の免疫力を低下させる点滴治療から解放され、早一週間。押さえつけてた免疫力を一気に高めさせることで、肝炎ウイルスを撃退させる過程にあるらしく、下痢気味が続くのみで、ひどい副作用もなく、経過は順調との事らしい。

点滴を行っている時、7kgも太った体重も昨日量ると元の体重に戻っており、薬物治療の身体への負担の多さを改めて知らされる。

入院して知ったのだけど、一日のうちで朝、昼、晩と食事前に計る血糖値が僕の場合、朝が極端に低く、看護婦さんに身体の調子を聴かれ、低血糖になっているらしい。

気になるところはこれ位で、シャワーも毎日でもいいらしいけど、とりあえずは一日おきに入っている。

朝の肝臓に利く注射もなくなり、看護婦さんが部屋に来る回数も減り、スマートフォンでのネットサーフィンをする時間が長くなり、ハイテク社会の象徴でもあるネットをモバイルで観て、感じるところが多くあった。

手持ちのスマートフォンの問題でもある解像度を上げたがための画面文字の見にくさは、メーカー側の実用テストを本当にしているのかと思ってしまうけど、フリーソフトを入れる事で大分使いやすくなった。けれども肝心のネットを閲覧するブラウザがバージョンアップが対応していないようで、ネットバンクやセキュリティを求められるネットショップでは使えないところが多くあり、携帯端末各社が独自シェアを重んじる余りに、逆に汎用性をなくし、ショッピングすら使える範囲を狭めているように思う。

それでも外出すら許されない僕でも時間を持て余さないようにと、ネットバンクの活用で身動きできない不便さを解消すべく、ネットブック・パソコンとポータブルのDVDプレイヤーを注文したのだけれど、パソコンのメーカーサイトはほとんどがPCサイト・オンリーのようで、複雑な仕組みを駆使していて、モバイル環境では使えないものばかり。

何ともはや、環境を問わない情報ツールであるはずのWebはバリアだらけと思い知らされる。

アクセシビリティを理解しているかなというサイトはPCサイトでもソースコードを縦一列に見せるモバイルブラウザではメニューなど画像化された物が、ソースに画像が表示されない時に代わりに示されるテキストを指定しているかどうかで、モバイルだと使い勝手がずいぶん違うのだけど、その辺の配慮もまだまだギャップがありすぎる。

とはいえ、スマートフォンの小さな画面はテキストを読むには最適で、この頃は北海道新聞の社説なんかを読んだりしている。

今後、テレビでネットを楽しめる時代も来るそうだけど、PCサイト、携帯サイトと分断してしまった日本のITに汎用性あるWeb標準化を受け入れる気運が起こるのだろうか?

いつでも、どこでもの便利さはいつでも、どこでも利用できない人が一番欲しいツール。

上り階段よりも下り階段の方が足腰悪い人にはエスカレーターが必要なのに、エスカレーターの大半は昇りの楽さを提供するものばかり。

そんなハイテクは時代遅れと思うのだけど。

とか書いているところに、主治医が来て、来週あたりから個室解放だとか。

必要性あるハイテクと自然治癒力が、どちらも大切なのだよね。

2010-01-06

個室病棟にて In the ward in the private room

正月の静けさも終わり、人の出入りの激しいナース・ステーションのすぐ傍にある主に重症患者が使う個室病棟の一室であるこの部屋でも、昼の見舞い人たちの賑わいが、社会と触れ合えているようで心が和む。

ここでのライフスタイルもすっかり馴染んでしまい、消灯時間の午後10時になると眠くなり、観たい映画をテレビでやっていても、睡魔に襲われる。

寝付き、目が覚めるのは夜半の深夜1時か、2時。数日前に隣か、その隣の部屋の人が亡くなられたのか、看護婦さんの駆け回る足音が廊下に鳴り響き、家族の方たちのざわめきのようなものが聞こえていたけど、今夜は隣の部屋に今日、入った女性の人が苦しげにせき込む音が聞こえてくる。

辛そうだなぁと思いつつ、まどろみの中、看護婦さんが僕の案配を見に、懐中電灯片手に部屋に入ってくる足音に、寝た振りしながらも、身体の免疫力を落とす点滴、投薬治療のせいなのか、それとも気遣ってくれる人がいてくれる安堵なのか、僕はまた寝入ってしまう。

どれくらい寝たのだろうか。24時間点滴を行っている機械のエラー音が鳴り響き、おそらく仮眠を取っていたのだろう看護婦さんが走る足音が聞こえ、目を覚ます。午前4時。起き上がるにはまだ早く、寝入るには半端な時間。

枕元に置いた携帯でネットを開き、ミクシーなんかを開いてみる。隣の部屋のおばさんはまだせき込んでいる。

ちょっとまた疲れ、目を瞑るとまたうとうとと。

朝6時には眠気も覚め、窓のブラインドをあけ、冷気を感じ、まだ薄暗い街を眺める。

主治医から点滴は終わり、これから急激に薬の量を減らしていくから、身体がきつくなるかも知れないから無理しないようにと言われたけれど、まだまだどちらに転がるか判らないこの身体。

また身体を冷やさぬようにベットに入り、明けゆく空を眺めている。

2010-01-04

小さき者へ To a small person

体調を崩し始めた時に、読み始めた重松清の「小さき者へ」をやっと読み終えた。

読み始めの頃は、読んでいても感情移入出来ずにおり、入院してからも精神的に参っていたのか、読む気にもなれなかったけど、ここ最近になって、例の重松節が心に響くようになってきた。

年老いた母とわが子たちの心の行き違いに気を持む「海まで」、両親の離婚をどう受け止めればいいのか、判らない小学四年の男の子と女の子の「フィッチのイッチ」、いじめ、逆ギレ、そして家庭内暴力へと引きこもる息子に渡すことも出来ない手紙をパソコンにつづる父を描いた「小さき者へ」、応援団崩れの父に、刃向かいながらも、父の背中が好きな女の子の「団旗はためくもとに」、脱サラ、フランチャイズ失敗の中年男の踏ん切り話「青あざのトナカイ」、少年野球の仲間だった子供たちがそれぞれつまづき、逃げ場を見失っている時、野球のコーチをしていた男が甲子園に高校野球の開会式を見に行こうと持ちかける「三月行進曲」。

どれも悩みを抱える者たちに紋切り型でこうすればいいさと返せないお話たちはそれ故、重松清らしい作品たちだった。

「団旗はためくもとに」のお父さんをかばうお母さんは言う。 「応援するって事は『がんばれ、がんばれ』って言うことだけじゃないの。『ここにオレたちがいるぞ。お前はひとりぼっちじゃないぞ』って教えてあげることなの」

「押忍」とはけして引き下がらずに忍ぶことだという。

忍ぶほどに相手を思い、されど引き下がらない。

解決ないままに終わる六つのお話はそれ故に「押忍」のような気がする。

中島みゆきの「ファイト!」を福山雅治がカバーしていると聞き、聴きたくなって、YOUTUBEで探しだし、聴く。

闘うきみの歌を闘わない奴らが笑うだろう。

小さき者へ、小さき者より。

2010-01-03

きみに読む物 The Notebook

僕しかいない部屋に出入りするのは看護婦さん十数名が大半の女の園の生活も早二週間。

正月も重なり、ぼちぼち身体を持て余し気味になりつつある。

年越しそばから始まって、お節料理に、雑煮、お煮しめの定番の他、魚の大和煮、牛肉八幡巻き、豚肉すき焼き、鶏挽肉松風焼きと普段でも食べたことのない料理が運ばれ、昨日、体重を量ると入院前より7キロ増加のおデブちゃん。投薬の影響もあり、お顔も丸みを増し、目指せ、竹内力。(笑)

何もすることもなく、よく言えば精神状態が落ち着いた時。昨日は観たい映画がテレビ放映されており、暇つぶしがてら、ストレス解消の肝臓にも良さそうなので、日がな一日観て過ごした。

夜に観た石原裕次郎主演、市川崑監督「太平洋ひとりぼっち」はあまりの有名作品なので、以前観ていると思っていたけど、初めて観る(だろう)。

なんか、ひとりぼっちというより、敗戦日本の意地みたいな映画だった。

続けて、佐藤純弥監督の「男たちの大和/YAMATO」も観ようかなと思ったけど、大和魂に疲れそうなのでリタイアする。

昨日、観た映画で一番好きなのは、昼からやっていたニック・カサヴェティス監督の「きみに読む物語」。

認知症を患い過去を思い出せずにいる老女と共に、心臓病で療養する老人はあるラブ・ストーリーを話して聴かせる。それは若き自分たちのラブ・ストーリー。

最新作「私の中のあなた」の感動もあったからこの映画をもう一度観たかったのもあったし。

引き離されても結ばれた二人は病によって、一緒にいながらも相手が判らない自然の無常の中でもう一度結ばれようとする。

生きる証は離れたくはないと思う気持ち。

僕のいないひとりぼっちの家で年越しをした高齢で自律神経を患った母は、年明けに僕が電話すると、「落ち着いたか」と涙声で声を張り上げていた。

人は誰かがいるから生きている。

2010-01-02

めがね Glasses

人は何故、旅をしたがるのだろう。

お腹の調子も落ち着きはじめ、荻上直子監督の映画「めがね」を観ていて、思う。

「観光するところはありませんか?」の質問に「何故、ここに来たのですか?」と問い、「たそがれに来たんじゃないですか?」と導かれるなか、「携帯の使えないところに来たかった」と答えるタエコは、泊まった宿の住人たちにいらつきながらも、そのいらつきが自分の問題であり、住人たちのスローライフに、いらつきの解決を見いだしていく。

「何故」を問いただし、目的があることに安堵したがる風潮は目的がどこにあるのか曖昧は緩い暮らしを嫌い、スローライフの意義を定義したがる。

定義されないから、スローライフでいられるのに、目的のあるスローライフという摩訶不思議なものが世の中を支配する。

旅なるものはその典型なんじゃないだろうか?

自分探しの旅は探すほどに疲れた自分がどんどん見えなくなり、単に気分転換が得る結果のような気がする。

相変わらずの怪演を演じていたもたいまさこの自然さは自然であるが故に怪演なのかも?

映画「めがね」は賛否が分かれたようだけど、叶わぬ夢と観てしまうと、ハードワークな世界がまかり通ってしまう気もする。

スローライフがたまらなく嫌な人は嫌でかまわないけれども、スローライフを選べる権利だけは残して欲しいもの。

「人間、死んだらこの魚と同じよ」と魚をさばくもたいまさこは生きているからたそがれられる事を知っている。

身動きできるうちに、入院治療を受けられ、たそがれの時間を得られたことに感謝しながら。

2010-01-01

年越し Seeing the old year out

肝機能の低下が影響して、身体に不要な物が溜まらないように便意を即す、食前に必ず飲むように出されていたシロップ状の飲み薬がここに来て、影響したのか、大晦日の夜は、下痢との闘いになってしまった。

紅白はじめ、歌番組、あるいはバラエティー番組ばかりのテレビをつける気にもならず、かといって暇つぶしにと持ってきた小説を読むのも疲れ、ベットに寄りかかり、この日記をアップするツールとして使っているPHSのスマートフォンでネットを見ていたのだけれど、そんな時、お腹がごろつきはじめ、急に便意をもよおし出す。

急いで起きあがり、トイレに駆け込んでも、ガスしか出ない時もあれば、固体化されない水状のものが便器を汚すだけの時もある。

空振り気分でベットに戻り、横になるとまた便意をもよおし、トイレに駆け込む。

そんな繰り返しが消灯過ぎまで続き、やっとお腹も落ち着いたのか、寝息につけば、小一時間ほどでまた便意を感じ、トイレへ。

病院個室での年越しも孤独に滅入る事なく、孤独な闘いのうちに煩悩の鐘も鳴り終えていた。

こんな夜更けにトイレかよ。

ウン付き年明け、まじ運がつくといいのだけれど。

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