2011-03-27

Ricky リッキー

バツイチ同士のカップルに授かった子ども背中に翼が生えてきて。

現代の寓話にしてはシビアな状況設定なので、戸惑いながら観たのだけれど、おそらくフランソワ・オゾン監督は「翼をなくした人間たち」をシニカルに描こうとした物だったんじゃないかなと思っている。

「翼をなくした」がために、相手を縛り付け、自分の手の届くところに置いておきたい。そんな束縛欲を天使の羽根を持つリッキーはやすやすと振り解いてしまう。

作品紹介のサイトなどで、家族の再生とかなんとか書いているけど、フランソワ・オゾン監督が素直にそんな話を作るわけがない。

「翼をなくした人間たち」の孤独は互いに縛り付け合う事。疑り合う事。意味を求める事。なんだろう。

震災や原発のニュースで、子供達への影響を懸念する話がTwitterで流れてきて、一番身近な守るべき生命を度外視した議論が、滑稽に思えてくるし、それこそ「翼をなくした人間経ち」の空論なのじゃないだろうかと。

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